このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2021年3月31日水曜日

追憶 3096

本当の時間や教育、視野や経験、余裕や健康、夢や希望、友人や家族とは、金で得られるものではない。
それ等を金で買おうとすれば、歪(ゆが)んだものが手に入るだけである。
大抵のものは金で買える。
しかしながら、一つだけ金では買うことの出来ないものがある。
それは本質である。
残念ながら、本質だけは金で買うことが出来ないのだ。

2021年3月30日火曜日

追憶 3095

多くの金を得ようとして、時間や教育、視野や経験、余裕や健康、夢や希望、友人や家族を失った人は多い。
この世の成功者と呼ばれる人は、金を良いものだと教える。
有り余る金を手に入れることが安心安全な人生であると説(と)く。
しかしながら、時間や教育、視野や経験、余裕や健康、夢や希望、友人や家族と金、どちらが大切だろうか?
それ等を失ってまで、金が欲しいだろうか?
多くの人は、金が無いから憧(あこが)れているだけである。
要(よう)は、無い物ねだりなのだ。

2021年3月29日月曜日

追憶 3094

残念ながら、金に救われるということはない。
有り余る金を持っているから人生が豊かであるということはないのである。
金は道具に過ぎない。
目の前の問題を解決するために役立ちはするが、道具そのものよりも、使い方の方が重要なのである。
金がなければ、時間や教育、視野や経験、余裕や健康、夢や希望、友人や家族を得ることは難しい。
しかしながら、それ等は、ある程度の金で事足りる。
金が多過ぎれば、却(かえ)ってそれ等を損う危険性があるのだ。

2021年3月28日日曜日

追憶 3093

それは、世の成功者の言葉を盲信(もうしん)する自己啓発者達を生み出した社会構造に似ている。
多くの人は、拝金主義者が生み出した成功者という“神”の言葉に従(したが)って生きている。
資本主義は、立派な宗教なのである。
多くの人が、金を“神”のように崇(あが)めている。
多くの人が、金によって幸福や豊かさが得られると信じているのである。
多くの人は、金のために生きている。
金のために仕事をして、金のために生活して、金のために死ぬのである。

2021年3月27日土曜日

追憶 3092

後世の宗教関係者は、改竄(かいざん)されて歪んだり弱ったとしても力のある言葉を信じているのであろう。
それは、彼等が盲信(もうしん)するように教え込まれているからだ。
“神(なぜかイエスやゴータマなどの聖者)”の言葉を信じるのが宗教である。
聖者と言えども、彼等は(恐らく)人間なのである。
宇宙人や宇宙人とのハーフかも知れないが、一応は人間ということになっている。
彼等が“神”でない以上、必ず未熟である。
未熟な人間の言葉を盲信するのは、今日(こんにち)の宗教のような形を築いてしまう危険な行為なのである。

2021年3月26日金曜日

追憶 3091

恐らくは、“善悪を一つと悟る(すべては一つ)”というのが、イエスやゴータマの教えだったのではないだろうか?
善と悪を隔(へだ)てているような人物が、(恐らくは改竄(かいざん)されているが)あのように素晴らしい言葉を残せるとは思えないし、後世(こうせい)に語り継がれることはないだろう。
改竄されていなければ、より素晴らしい教えであったに違いない。
しかしながら、改竄されているとしても、その言葉には力がある。

2021年3月25日木曜日

追憶 3090

現存しない人物のことなら、幾らでも改竄(かいざん)することが出来る。
“死人に口なし”ということである。
もちろん、現存の宗教に残るイエスやゴータマの人物像や教えやエピソードが正しい可能性もあるだろう。
しかしながら、可能性としては相当に低いものであるだろう。
イエスやゴータマ程の人物が、世界を善し悪しで隔(へだ)てたとは思えない。
彼等の説いた教えは、宗教が行って来たような、争いや守銭(しゅせん)などの欲望に満ちた俗的(ぞくてき)な教えでは無かったはずである。

2021年3月24日水曜日

追憶 3089

宗教やスピリチュアルに傾倒(けいとう)している人は、恐らくは、イエスやゴータマの現存の人物像を信じているだろう。
それは、書かれてあることや伝わって残っている情報を信じるしかないからである。
イエスもゴータマも、それを教えているのは現状の宗教である。
現状の宗教が教えるイエスやゴータマは素晴らしい人物像だが、それが正確であるとは限らない。
なぜなら、宗教で教える教師達は、イエスやゴータマに直接会ったことがないからだ。
宗教は、会ったことのない人物の教えを教えているのである。

2021年3月23日火曜日

追憶 3088

わたし達が知っているイエスやゴータマは、必ずしもそのままの人物像ではないだろう。
現状のイエスやゴータマという人物像は、弟子や後世の人が書き残したり、都合の良いように改竄(かいざん)した人物像なのである。
わたし達には、現存する人物のことを正しく伝えることすら出来ない。
書物として残されていたとしても、時間や人数を経ることによって大きく変わってしまうだろう。
例えば、数人の間を伝言する文章が少し複雑なだけで、全く別の文章が伝わってしまうのである。

2021年3月22日月曜日

追憶 3087

それが“普通”の感覚である。
“普通”とは、常識のことであり、良いということだ。
多くの人は、良し悪しで隔(へだ)てることを善だと思っているのである。
それは、多くの信者を取り込もうとした宗教の企(たくら)みであったのかも知れない。
宗教を持続させるためには、敵がいた方が良いし、不安や心配は大きな方が良いのである。
敵がおらず、不安や心配も無ければ、恐らくは宗教は今とは違う形に成っていただろう。
イエスやゴータマの説いた教えが、オリジナルに近い形で残っていたのではないだろうか?

2021年3月21日日曜日

追憶 3086

良いことと悪いことは、人が自分勝手に定めた境界線である。
何が良く、何が悪いかは、それぞれの立場によって変わる。
良し悪しというものは、本来は決まっていないのである。
わたしは天使も悪魔も大切に思っているが、多くの人はそのようには考えないだろう。
都合の悪いことや嫌いな人を大切に思っている人にはほとんど会ったことがない。
大抵の人が、都合の悪いことや嫌いな人を否定しているのである。

2021年3月20日土曜日

追憶 3085

“神”とは、すべてである。
この世のすべては“神”である。
宗教家や霊能者、スピリチュアルやオカルトに傾倒(けいとう)している人達は、“神”は良いものだと思っているだろう。
悪魔や悪霊(あくりょう)、悪人や悪事を否定しているのがその証(あかし)である。
悪魔や悪霊、悪人や悪事も“神”である。
“神”と悪魔を対立させている人がいるが、悪魔も“神”の一部なのだから、対立のしようがない。
天使と悪魔は対極の存在ではあるが、天使と悪魔が対立することはない。
天使と悪魔は、互いに協力して“神”の世界を築いているのである。

2021年3月19日金曜日

追憶 3084

幸せに決まった形は存在しないとは思うが、霊的に成長すると金持ちになろうとは思わないのであろう。
インドを独立に導いたガンディーも貧しい暮らしをしていた。
霊的に成長した者は、快楽や欲望を満たすためのこの世の富には興味が湧(わ)かないのである。
それは、自分勝手な都合では生きていないからだ。
霊的に成長すると、“神”の存在を意識するようになる。
“神”が適切な呼び方であるかは分からないが、宿命や縁(えん)のような大きな流れが存在し、それと共に生きているのである。

2021年3月18日木曜日

追憶 3083

拝金主義者は、都合の良いものを集めることが幸福であり、豊かな人生だと主張している。
世の中の成功者と呼ばれている人達は大抵が金持ちである。
世の中は、金持ちを成功者として認め、それに憧れを抱くように印象操作をしているだろう。
個人差はあるだろうが、金持ちよりも、貧乏人の方が幸せかも知れない。
もしも金持ちの方が幸せであるのならば、ゴータマは家を出なかったし、イエスは神殿で暴れなかっただろう。

2021年3月17日水曜日

追憶 3082

拝金主義の時代になって、地球にはゴミが増えた。
金儲けをする程にゴミが増える。
都合の良いものを取れば、都合の悪いものが与えられるのである。
金儲けは、副産物として自然環境を壊してしまうのだ。
都合の良いように生きれば、都合の悪いことが起こる。
傲慢(ごうまん)な暮らしをすれば、病気が与えられるのだ。
この世界では、バランスが保たれるのである。

2021年3月16日火曜日

追憶 3081

魚が病気や死を避けるためには、水を清潔(せいけつ)に保つことである。
餌(えさ)をやり過ぎてはいけないし、水草やバクテリアの働きも重要である。
水道水を注いだだけの水槽(すいそう)では、魚は長く生きることは出来ないだろう。
拝金主義は、自然環境を破壊している。
効率的な金儲(かねもう)けを実現するために、自然環境を顧(かえり)みることはない。
拝金主義者は、金を儲けることが出来ればそれで良いのである。

2021年3月15日月曜日

追憶 3080

満たされていない時には、人は物を大事にする。
それは、他に代えが無く、大事にしなければならないからである。
しかしながら、有り余っていれば幾(いく)らでも代えがある。
代えがあれば、何かを大事にする気持ちも薄れてしまうだろう。
物余りの時代には、ゴミが増える。
ゴミが増えると、自然環境は汚れてしまう。
自然環境が汚れると、やがては自分自身にその付けが回る。
水槽(すいそう)の魚は、自分自身の糞尿(ふんにょう)によって病気になり、死んでしまうのである。

2021年3月14日日曜日

追憶 3079

拝金主義は、不合理な状態を引き起こす。
しかしながら、拝金主義者は、金に価値を見出しているために、それを合理的だと信じているだろう。
金を手に入れるためにゴミを生み出しているのが拝金主義であろう。
金儲けのために、大量の価値を捨てているのが現状である。
本来ならば、金よりも食料の方が価値があるはずだ。
なぜなら、わたし達は、金を払って食料を得るからである。

2021年3月13日土曜日

追憶 3078

満たされた生活をしていると、価値を見失ってしまう。
今日(こんにち)の日本においては、水も食料も有り余って捨てている程なのである。
多くの人は、捨てているものに感謝することはないし、そこに価値を見出すことも難しい。
有り余っていると感覚が麻痺(まひ)してしまうのである。
感覚が麻痺している状態が“当たり前”という状態なのである。
当たり前という感覚の麻痺は、損得勘定の辿り着いた拝金主義(はいきんしゅぎ)の弊害(へいがい)なのである。

2021年3月12日金曜日

追憶 3077

すべてを失う経験から得るものは様々であろうが、最も重要なことは、失うことで価値に気が付けるということであろう。
満たされている時には、それを当たり前と思う。
満たされている時には、そこに価値を見出すことはないだろう。
今日(こんにち)の日本に住んでいると、水や食料に価値を見出すことは難しい。
それは、有り余っているからである。
しかしながら、僅(わず)か60年前の日本においては、水や食料は貴重なものであったし、恐らくは、すべての人がその価値を知っていただろう。

2021年3月11日木曜日

追憶 3076

被災した人達は、これ以上ない程の苦しみを得ただろう。
文字通りすべてを奪われてしまったのである。
家族も、友人も、財産も、生活も、幸福や夢さえも奪われてしまった。
しかしながら、霊的な視点で見ると、被災した人達は、被災してすべてを失うという経験をするために被災地に生まれたのである。
魂の段階では、被災することは分かっていたのだ。
それでも、その経験に価値を見出したから生まれて来たのである。

2021年3月10日水曜日

追憶 3075

自分にとって都合の悪いことが、悪い経験だと思うのは、その価値に気が付いていないからだ。
すべての人が、やがては苦しみの価値に気が付いて感謝することになる。
それは、苦しみに打ち勝つことの出来る人など存在しないからだ。
わたし達は、東日本大地震によって、自然には勝てないことを学んだ。
自然は、恩恵と同時に苦しみを与える。
自然と共に生きているのであれば、都合の良いことだけを盗み取ることは出来ないのである。

2021年3月9日火曜日

追憶 3074

今となっては、わたしは必要な経験を得るために悪さを行なっていたのだと思える。
わたしにとっては、悪さによって怒られ、自責の念によって苦しむという経験が必要だったのである。
それは、わたしが傲慢(ごうまん)に陥(おちい)らないためであろう。
そして、汚れや歪みを取り除くという目的もあったのではないだろうか?
所謂(いわゆる)“良い子”であったなら、わたしは今以上に歪んでいたのだろう。

2021年3月8日月曜日

追憶 3073

わたしは、所謂(いわゆる)”悪ガキ”であった。
物は壊すし、友達は泣いていた。
わたしは、物を壊したいとも、友達を傷付けたいとも思っていなかった。
しかしながら、結果としてそうなってしまうのである。
それは、わたしが行ったことではあるが、わたしが行ったことではない。
わたしには、なぜそのような事態になっているのか?その理由が分からなかったのである。

2021年3月7日日曜日

追憶 3072

自分が“神”の道具だと知っていたのであれば、都合の悪いことも楽しむような思考になれたかも知れない。
しかしながら、当時のわたしは、嫌々ながら何かを行なっていた。
やりたくないことをやりたくないと思いながら行っていたのである。
それは、自分というものを知らなかったし、知る術もなかったからである。
幼い頃のわたしには、目の前の体験の意味が分からなかった。
存在している実感というものがなく、浮遊しているような不思議な感覚で生きていたのである。

2021年3月6日土曜日

追憶 3071

わたしには、自分というものが分からなかったのである。
ここで言う自分というのは自我のことだ。
わたしには、自分を貫(つらぬ)いてまで何かを実現しようとする気概(きがい)というものがなかった。
遠慮(えんりょ)の強い子どもだったように思える。
引っ込み思案(じあん)というのか、単純に知性が足りなかったのかは分からないが、立派に何かを成すということが出来なかったのである。
しかしながら、身体が大きく力も強かったためか、周囲の大人からは期待されることが多く、自分と他者からの評価や期待の差に苦しんでいた。

2021年3月5日金曜日

追憶 3070

わたしは、自分のことを“神”の道具だと思っている。
“神”(呼び方は何でも良いが、何か大きな存在)がわたしを使っているような感覚があるのだ。
わたしは、幼い頃から主体性が薄かったように思う。
目標を設定するような志(こころざし)や強欲さ、目的を果たそうとする強い意思や頑固さが無かったのである。
そのため、幼い頃は、周囲の友達のことを凄いと思っていたし、彼等のようには出来ないと劣等感を抱えていた。

2021年3月4日木曜日

追憶 3069

使ったとしても、錆(さ)びたり壊れたりしてしまう。
しかしながら、それまでに何かを生み出し、何かを得ているのである。
ただ、箱の中にしまっていて使えなくなるのとは違う。
道具は、使うために生み出されたのである。
使わなくては価値がない。
飾(かざ)っておくのは道具ではない。
しまっておくのも道具ではないのだ。
使うからこそ道具なのである。

2021年3月3日水曜日

追憶 3068

満たされ続けると、その人は怠慢(たいまん)や傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまう。
それでは、個性を出現させることは出来ない。
道具は、箱のままで放置してはならない。
使わなければ、それが持つ性質が分からずに、性能を十分に引き出すことが出来ない。
使わずに放置しているのであれば、使おうと思った時には、錆(さ)びていたり、壊れたりしていて使えないのである。

2021年3月2日火曜日

追憶 3067

人は、それぞれの分際の花を咲かせる必要があるのだ。
自然界には、様々な種類の花があるように、人間界には、様々な種類の個性がある。
個性を出現させることが、花を咲かせることである。
個性を出現させるためには、楽なことや都合の良いことばかりを経験していてはならない。
満たされていると、個性を出現させることは出来ないのである。
個性を出現させるためには、苦労や都合の悪いことも経験しなければならない。
個性を出現させるためには、不足も必要な要因なのである。

2021年3月1日月曜日

追憶 3066

あなたは、桜の花を見たいと思うだろう。
もしも、その桜の管理をしているのであれば、より強く願うことだろう。
花を咲かせたいと思っているのに、寒さが厳しくて可哀想といって囲いを建てるだろうか?
寧(むし)ろ、囲いを取り除いて寒さに当てるようにするだろう。
それで美しい花を咲かせると知れば、あなたは迷わずにそうするはずである。
人間も、桜と同じように分際を以(もっ)て生まれる。