光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2020年7月31日金曜日
追憶 2854
思考や感情などの意識には形の無い形がある。
この世に存在するあらゆるものが、人の思考や感情、欲望や意欲が生み出した物である。
何一つとして、意識の潜在しない物質は存在しないだろう。
無意識に思える太陽や水や風も、計画的に設計され、運用されているように思える。
偶然というには、辻褄(つじつま)が合うように思えるのだ。
植物の中には、昆虫に似せた花を咲かせるものがある。
それは、昆虫を騙(だま)して受粉するためである。
2020年7月30日木曜日
追憶 2853
物質は、本質への入り口である。
この世界において、意識は物質として具現化(ぐげんか)する。
思考や願望などの意識が、状況や製品としての形を取る。
どのような物質も、その中身は意識なのである。
意識なくして物質は存在することが出来ないのだ。
形として現れている物質は、形として現れない意識を原因としている。
意識にも形はあるが、それは物質的な形ではなく、形の無い形なのである。
2020年7月29日水曜日
追憶 2852
人は、それぞれの課題を以(もっ)て生まれる。
物質的な価値観を課題として生まれた者は、物質的な価値を追い求めなければならない。
物質的な価値を課題として生まれた者は、物質的な価値を追求することによって、物質的な価値を手に入れる。
もしくは、それを失うだろう。
どちらにせよ、物質的な価値に翻弄(ほんろう)されることになるのだ。
物質的な価値によって、喜怒哀楽のすべての感情が刺激される。
すべての感情が刺激され終わると、心は満足するのである。
満足すれば、その課題は修了である。
2020年7月28日火曜日
追憶 2851
富を信仰している人は、人助けという発想にはならない。
富を信仰している人は、金儲(かねもう)けという発想に至(いた)るのである。
相手のことよりも、自分のことを考える比率が高い。
富を信仰している人が無益に施(ほどこ)すことはない。
都会の人程、損得を気にするのは、意識的な価値観が田舎程は発展してはいないからである。
田舎は、”神”への信仰によって築かれた村である。
”神”への信仰の結果、村という田舎が生じたのである。
2020年7月27日月曜日
追憶 2850
田舎(いなか)である程、意識的な価値が高く、都会である程に物質的な価値が高いだろう。
人には、それぞれに学ばなければならない課題がある。
そして、解消しなければならない課題があるのだ。
そのために必要な場所で生活する必要がある。
田舎も都会も、人の抱える課題に応じて必要である。
どちらが良くて、どちらが悪いということではない。
金儲(かねもう)けが必要な人もいれば、人助けが必要な人もいるのだ。
2020年7月26日日曜日
追憶 2849
“神”を本当に信仰している人は、金儲(かねもう)けという発想にはならない。
“神”を信仰している人は、人助けという発想に至(いた)るのである。
自分のためよりも相手のことを考える比率が高い。
“神”を信仰している人は、報酬(ほうしゅう)を気にせずに施(ほどこ)すだろう。
田舎(いなか)の人程、損得を気にせずに与えるのは、物質的な価値観が都会程は発展してはいないからである。
都会は、富への信仰によって築かれた街である。
富への信仰の結果、都会という街が生じたのである。
2020年7月25日土曜日
追憶 2848
残念ながら、わたし達は二人の主人に同時に仕えることは出来ない。
イエスは、「誰も、二人の主人に兼(か)ね仕えることは出来ない。神と富とに兼ね仕えることは出来ない」と言ったのである。
恐らく、イエスの言う神とは、意識的な価値のことであるだろう。
そして、富とは物質的な価値のことだと思う。
わたし達は、“神”を信仰しながら金儲(かねもう)けは出来ないということだ。
金儲けをしながら“神”を信仰することは出来ないということである。
2020年7月24日金曜日
追憶 2847
多くの人は、お金を理由として結婚する。
それは、物質的な価値を優先した結果であるだろう。
お金を理由とした結婚が悪いということはない。
どのような理由でも構わなのである。
お金を理由に結婚すれば、お金に不自由しない生活を手に入れることが出来るだろう。
それを豊かさと考えている人にとっては、最善の選択である。
しかしながら、物質的な価値を優先すれば、相対的(そうたいてき)に意識的な価値は蔑(ないがし)ろにしなければならない。
2020年7月23日木曜日
追憶 2846
意識的なものには価値が定められてはいない。
意識的なものを共通の価値観で取引することは出来ないのだ。
意識的なものには値段を付けることが出来ない。
意識は、お金では買えないのである。
“気持ち”を物やお金で代替(だいたい)してはいるが、本来ならば、交換することが出来ないものであろう。
例えば、物やお金を支払わなくても愛情を得ることが出来る。
しかし、物やお金をどれだけ支払っても愛情は得られないものである。
それは、愛情が意識的なものであり、物質的である物やお金では取引することが出来ないからだ。
2020年7月22日水曜日
追憶 2845
より良いものとは、難解なものである。
既存(きぞん)の価値観で理解することが出来ないものこそが良いのである。
既存の価値観で理解することが出来るものには価値が残っていない。
価値とは、理解することで失われていくものなのである。
理解することが出来ないことが価値なのだ。
多くの人は、容易(たやす)いことに価値を見出す。
お金という価値を理解することは容易い。
それは、大抵のものに値段が決められているからである。
2020年7月21日火曜日
追憶 2844
今日(こんにち)の世の中では、意識的な価値を求める人は少ない。
形の無い深いものを受け入れる度量(どりょう)が育ってはいないのである。
今も昔も割合は変わっていないのかも知れないが、世の中は合理的な価値観が支配している。
すべての宗教は金儲けの道具に成り下がった。
金儲けの為に、意味の無い儀式を売っている。
芸術は、感性を追求する道ではなくなり、金儲けの手段となった。
売れる絵しか描くことが出来ないのである。
文学も同じで、理解させることしか書けない。
それがどのように優れた芸術であったとしても、売れなければ価値が無いのである。
売るためには、無知な人達が理解することが出来る形として提供しなければならない。
2020年7月20日月曜日
追憶 2843
物質的な価値観を信仰する人にとって、形の無いものに価値を見出すことは難しいだろう。
どうしても、形のあるものに価値を見出してしまうのである。
花より団子という言葉があるが、花は形の無い美しさを心に与えてくれるが、団子は形のある満腹感を腹に与えてくれる。
花は意識的な価値を提供し、団子は物質的な価値を提供する。
多くの人は、物質的な価値を優先するだろう。
武士は食わねど高楊枝(たかようじ)というある意味での高尚(こうしょう)な精神は薄れてしまったのである。
2020年7月19日日曜日
追憶 2842
恐怖を取り除くことは難しい。
それは、心の中に存在するが、どこにどのような形で存在するかを知る人は少ないだろう。
取り除こうとすれば、多くの時間と労力を必要とする。
それは、何年もかかるかも知れないし、何十年とかかるかも知れない。
多くの人は、心に対してそこまでの時間と労力を費やすことはしないだろう。
それは、心には形が無く、見えないからだ。
物質的な価値観を信仰する人にとっては、形の無いものに費やす時間も労力もないのである。
2020年7月18日土曜日
追憶 2841
多くの人は恐怖に怯(おび)え、それを否定しようと努める。
そして、欲望に従って快楽を貪(むさぼ)ることで恐怖を忘れることが出来ることを発見するのである。
それは、一時的なものに過ぎないが、一時的にも忘れることが出来ればそれで良いのだ。
わたし達は、恐怖(痛みや恥など)を一時的にでも忘れることが出来る方法があれば、それを選択するだろう。
多くの人が酒やギャンブルや買い物などに依存(いそん)するのは、一時的にでも恐怖を忘れることが出来るからである。
2020年7月17日金曜日
追憶 2840
どのように純粋な人間も汚れてしまう。
真っ直ぐに歩んでいるつもりでも、曲がっているのである。
残念ながら、この世界においては、純粋を保つことは出来ない。
純粋を保つには、この世界は汚れ過ぎているのである。
世界を汚しているのは欲望である。
欲望の本質は恐怖だ。
すべての人が恐怖を抱えている。
恐怖を退(しりぞ)けるために、欲望が必要なのである。
それは、欲望を貪(むさぼ)ることで、僅(わず)かの時間恐怖を忘れることが出来るからだ。
2020年7月16日木曜日
追憶 2839
多くの人は、物質的な発展を最善と考える。
多くの人は、物質的な発展こそが、人生における豊かさだと信じているのである。
金儲けをすることが最善だと考える人が多いのである。
しかしながら、大抵の場合、それは自分の考えではないだろう。
多くの人が教育によって考え方を刷り込まれているのである。
どのように勇ましい野生動物も、餌をくれる人間に従(したが)うようになる。
人は、それぞれに重要な目的を以(も)って生まれるが、教育によってそれを手離してしまうのだ。
それは、まるで野生動物が警戒心や爪や牙を手離すようにである。
2020年7月15日水曜日
追憶 2838
宗教とは、自分の内に存在する“神”に気付き、共に生きることである。
宗教の種類は問わないが、人は信仰を通じて同じ目的地である“神”へと辿り着くのだ。
すべての経験が“神”へと通じている。
人は、どのように生きても、最終的には“神”へと辿り着くのである。
しかしながら、そのことを理解している人はいない。
多くの人は、目の前の小さな欲に従って生きる。
例えば、豊かな暮らしが人生の目的だと思っているだろう。
そのため、多くの人は金儲(かねもう)けに精を出すのである。
2020年7月14日火曜日
追憶 2837
宗教とは、本来、人を“神”へと導く道標(どうひょう)なのである。
宗教観というものは、すべての人に潜在しているものだ。
それは、赤ん坊が教わってもいないのに乳を吸い、教わってもいないのに泣くことと同じである。
すべての人は、成長するに従(したが)って宗教観を身に付ける。
そして、何かしらの宗教を信仰するようになるのである。
それは、一般的な宗教活動かも知れないし、経済活動かも知れないし、科学などの合理主義的な活動かも知れない。
2020年7月13日月曜日
追憶 2836
宗教の目的とは、“神”との対話であるだろう。
“神”とは、自分の内に存在する神の性質のことである。
神の性質とは、すべての価値のことである。
すべての経験に価値が存在するのである。
あなたは、すべての経験に価値を見出さなければならない。
すべての経験に価値を見出すことが、“神”との対話なのである。
宗教の本来の目的は、自分自身と深く向き合い、すべての経験に価値を見出すことである。
すべてに価値を見出すことを悟りというのである。
2020年7月12日日曜日
追憶 2835
それは、宗教の構造と良く似ている。
多くの人は、慈善活動という形の宗教活動をしているのである。
偽善は、それが偽りの善行であるにしても、自己満足を得ることが出来る。
それは、自己満足を得ることは、他者からの客観的意見を必要とはしないからだ。
自分の中で完結すれば良いのである。
善意の寄付金によって善行を行なったと思っている人がいるが、それが善行であるかどうか?は分からないのである。
2020年7月11日土曜日
追憶 2834
偽善を成立させるためには、ある程度は偽善的な活動をしていなければならない。
極端に言えば、メディアの前でだけ活動しておけば良いのである。
そうすれば、その写真や動画を見た人は、その背景を考えることもなく、事前活動をしていると勝手に思い込んでくれるだろう。
そして、更なる善意の寄付金を支払うのである。
残念ながら、多くの人は、想像力に乏(とぼ)しい。
わたしも、良いことだと思って無理をしない範囲内で寄付をしていたことがあったが、寄付金がどのような使われ方をしているかは気にしたこともなかった。
寄付をするという自らの善行に自己満足していただけなのである。
2020年7月10日金曜日
追憶 2833
恐らく、善意の寄付金の大半は幹部の給料や宣伝費に消える。
給料や宣伝費は、恐らくは寄付金から捻出(ねんしゅつ)されるだろう。
株や為替(かわせ)や不動産など、様々な方法によっても利益を得ているとは思うが、寄付金をそのようなことのために使っているとは口が裂けても言えないだろう。
彼等は、クリーンなイメージが売りなのである。
飢えている子ども達に届けられるお金や物資は、寄付金の中のほんの少しの割合なのではないだろうか?
2020年7月9日木曜日
追憶 2832
偽善的な団体が、“ある国では飢えて死ぬ子どもが…”などと様々なメディアで宣伝している。
多少は飢えて死ぬ人もいるだろうが、そんなものは一部のことであるだろう。
もしも、大規模で永続的な飢餓(きが)が発生しているのであれば、そこに人はいないはずである。
しかも、偽善的な団体の支援が役に立ってはいないということでもあるだろう。
飢えて死ぬ子ども達は一向に減らない。
これをどのように考えれば良いのだろうか?
メディアは一部の情報を偏向的(へんこうてき)に伝える。
それは、すべてのメディアが広告を取り扱っている会社であり、収入を必要としているからだ。
メディアは、収入を得るために依頼主の利益となるような宣伝をする。
しかも、広告料はかなりの金額になるだろう。
偽善的な団体は、多額の宣伝費を使って、飢えに苦しむ子ども達のために、善意の寄付金を募(つの)るのである。
2020年7月8日水曜日
追憶 2831
人の枯(か)れることのない欲望は、人々の暮らしを便利なものに変えた。
先進国と呼ばれる国の暮らしに不自由はない。
物余りが起きている程である。
食料を始め、様々な物を粗末(そまつ)に扱える程には困らない暮らしが出来るようになったのである。
貧富の差はあっても、日本では大抵の人が現代の基本的な生活を営むことが出来るだろう。
ホームレスであっても、簡単に飢え死にするということはない。
飢え死にする人もいるだろうが、その数は少ないのである。
2020年7月7日火曜日
追憶 2830
欲望とは、悪魔の力である。
それは、破滅的な性質を持ち、破壊を実現する。
世の中を見ていると、欲望によって多くのものが建設されると思うかも知れないが、破壊されているものの方が多いのである。
単純に数量の比較をしてはいけない。
価値を基準として比較しなければならないのである。
欲望によっては、生み出される価値よりも、失われる価値の方が多いということを理解しなければならないだろう。
2020年7月6日月曜日
追憶 2829
赤ん坊は、首も座っておらず、体勢を変えることすら出来ないのである。
そのような生物は他にいないのではないだろうか?
人は、不自然な程に生物として弱いのである。
しかしながら、“知恵”を付けることによって、人は他の生物よりも強大な力を得る。
知恵とは、欲望のことである。
すべての人は、欲望を身に付けることによって、この地球で最も強い生物として君臨(くんりん)するようになるのだ。
2020年7月5日日曜日
追憶 2828
何よりも弱く、何よりも強いのが水の本質であるということを理解しなければならないだろう。
人は、水のように何よりも弱く、何よりも強く生きなければならないのである。
何よりも弱いというのは、謙虚(けんきょ)に生きるということである。
残念ながら、多くの人は、簡単に傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまう。
赤ん坊の時には、自力で乳を吸うことすら出来ない弱い存在であったにもかかわらず、そのことを忘れてしまうのである。
人間の赤ん坊程弱い生き物はいないだろう。
人間の赤ん坊は、不自然な程に何も出来ないのである。
2020年7月4日土曜日
追憶 2827
すべての生命は、水がなければ生きていくことが出来ない。
恐らくは、水を必要としない生命は存在しないだろう。
水は、すべての生き物に命を与えるのである。
水は、何の抵抗もせずに飲まれる。
それは、最も弱いからである。
しかしながら、水は、すべての生き物の命を奪う力を持っている。
水が少なくても多くても、命を奪うのだ。
洪水(こうずい)を食い止めることは出来ない。
水は、すべてを押し流してしまうのである。
2020年7月3日金曜日
追憶 2826
“上善水(じょうぜんみず)の如(ごと)し”とは、最も優れているのは水(のような生き方)であるということだ。
水は、環境や状況に従って自らを柔軟に変化させる。
寒い所では、霜(しも)や氷と成る。
暑い所では、水蒸気や雲と成る。
寒くも暑くもない所では、液体と成るのだ。
どのような形にも変化し、その本質は捕らえることが出来ない。
水は、ある意味で最も弱い。
弱いから、すべての存在に利用される。
しかしながら、水はある意味で最も強い。
強いから、すべての存在に利用されるのである。
2020年7月2日木曜日
追憶 2825
良いものとは、この世界の役に立つもののことである。
この世界の役に立つものを人間の考えで理解することは出来ないだろう。
多くの人は、強いものがこの世界の役に立つと思い込んでいるが、強いものが残るとは限らない。
弱いものでも、この世界の役に立つのであれば残るのである。
強さに対する価値観を限定してはならないだろう。
老子の言葉に“上善水(じょうぜんみず)の如(ごと)し”というものがある。
2020年7月1日水曜日
追憶 2824
多くの人は、勝負事が好きである。
スポーツやギャンブル、経済や人間関係を見ているとそう思う。
そして、世の中は勝者を持て囃(はや)す。
多くの人は、勝つ方が良いと考えているのである。
本能に従えば、それが正しい見解であるだろう。
自然界は、自然淘汰(しぜんとうた)によって良いものを残す。
この世界には、良いものが残るのである。
良いものとは、決して強いもののことではない。
強いものが残るのであれば、恐竜は絶滅しなかったし、トラやホッキョクグマも個体数を減らしてはいないだろう。
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