光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年11月7日日曜日
追憶 3317
頂(いただき)に近付く程に、道は険しく環境は悪くなる。
これは、信仰(しんこう)と同じことである。
気楽な人は、“神”を信じないし認めない。
それは、“神”などいなくても気楽だからである。
気楽な人は、麓(ふもと)の街で宴(うたげ)に酔い痴(し)れるような人達である。
彼等には、“神”は必要ない。
“神”を信仰していると、快楽や欲望を貪(むさぼ)ることが出来ないからだ。
彼等は富を信仰し、“神”を必要とはしない。
同じように、“神”も彼等を必要とはしないのである。
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