光の天秤 -自叙伝-
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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年10月26日火曜日
追憶 3305
信仰(しんこう)が極まる程に、信仰に対する意識は小さくなっていくのだろう。
例えば、宗教活動に熱心な“神”を信仰している信者の信仰は、とても大きく熱狂的である。
彼等は、“神”のために争うし、“神”のために人生や命を捧げる程である。
それは、信仰が大きく、持て余しているからだ。
彼等は、信仰心に翻弄(ほんろう)されているのである。
信仰心が熱狂的である程、山の麓(ふもと)であるということなのである。
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