光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年10月25日月曜日
追憶 3304
信仰(しんこう)は、それがどのようなものであれ、偏(かたよ)らなければ成立しない。
“神”を信仰するためには、“神”に偏らなければならないし、富を信仰するためには、富に偏らなければならないのである。
わたし達が信仰という山を登るのは、信仰を手放すためなのかも知れない。
頂上に近付く程に、面積が小さくなるのは、信仰の大きさを示唆(しさ)しているのだろう。
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