光の天秤 -自叙伝-
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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年8月7日土曜日
追憶 3225
何をしても叱(しか)られたり、怒られたりしなければ、それが正しいと勘違いをしたまま悪化してしまうだろう。
無関心は、歪(ゆが)みを助長してしまうのである。
報いを受けることが出来るということは、やり直せるチャンスなのである。
しかしながら、傲慢(ごうまん)な者には、そのことが分からないだろう。
傲慢な者は、自分に向けられる批判(ひはん)を嫌うのである。
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