光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年8月31日火曜日
追憶 3249
それは、本質的な部分が異なっているからである。
もちろん、“すべては一つ”である。
ここでいう異なった部分とは、人生の目的や魂としての役割のことである。
人生の目的や魂の役割というものは、それぞれに異なっているのが自然である。
残念ながら、人は、同じ目的や役割を担(にな)って生まれることは出来ない。
人は、それぞれの目的や役割のために生まれるのである。
2021年8月30日月曜日
追憶 3248
すべての価値観は歪(ゆが)んでいる。
それは、そのような教育や影響を受けたからである。
意識的な教育や影響もあるし、無意識的なものもあるだろう。
どちらにしても、人が自分独りで価値観を作り上げることは不可能なのである。
どのような人物も、他者と触れ合わずに生きることなど出来ないのである。
人が共有することが出来るのは、表面的な部分である。
残念ながら、人は本質的なものを共有することは出来ない。
2021年8月29日日曜日
追憶 3247
わたし達の価値観というものは、自力で確立したものではない。
それは、周囲の人達の影響によっていつの間にかに形作られたものなのである。
文化や民族、国や地域、人間関係や家族によって価値観は似通(にかよ)う。
それは、互いの価値観を共有し、共感するからである。
人は、自分独りで価値観を形成することは出来ない。
2021年8月28日土曜日
追憶 3246
多くの人が、人生に対して不平不満や心配を抱えている。
それは、決して幸せな状態ではない。
しかしながら、多くの人がそうしている。
それは、多くの人がそうしているからだ。
多くの人が、某社(ぼうしゃ)のハンバーガーが美味しいとか、コストパフォーマンスが良いとか、行列が出来ているとか、コマーシャルで見掛けたとか、様々な理由で口にする。
しかしながら、本心からそれを口にしたいと思っているのだろうか?
本心からそれを口にしたいと思っていたとしても、それが自らの本心から出たものかは分からないのである。
2021年8月27日金曜日
追憶 3245
心や頭に従(したが)うと、“普通”の価値観で生きなければならない。
多くの人は、心や頭に従って生きている。
多くの人が選ぶ方法が良いものだと思っている人がいるが、それでは、地球で最も優れた食べ物は某社(ぼうしゃ)のハンバーガーということになってしまうのである。
残念ながら、そのようなことはないだろう。
どちらかと言えば、それは不健康な食べ物なのである。
多くの人が従っている心や頭というものは、不健康なものなのかも知れない。
2021年8月26日木曜日
追憶 3244
この世の富に価値を見出すことは、決して悪いことではない。
それは、富によって学ぶことがたくさんあるからだ。
しかしながら、富に執着(しゅうちゃく)することには注意しなければならない。
なぜなら、富に執着することによって、世界観や価値観をこの世という小さなものにとどめてしまうからだ。
それは、あなたを心や頭という物質的な視点に限定してしまうという問題も引き起こしてしまうのである。
2021年8月25日水曜日
追憶 3243
魂は、この世のものに価値を見出さない。
魂は、富に価値を見出さないのである。
それは、魂には、この世が一時的なものであり、何一つ所有することが出来ないことや、何一つ所有する必要がないことを知っているからである。
しかしながら、心や頭(脳や肉体)にとってはこの世がすべてである。
心や頭では、この世以外の世界観や価値観を認識することが出来ないのだ。
そのため、この世のものを集めたくもなるし、所有したくもなるのである。
2021年8月24日火曜日
追憶 3242
頭で考える時、人は与えることが出来ない。
頭は合理的に考えるために、集めることは出来ても、与えることは出来ないのである。
与えるためには、頭で考えることを手放さなければならない。
与えるためには、魂に従わなければならないのである。
それは、魂には、損得勘定というものがないからである。
2021年8月23日月曜日
追憶 3241
頭(自我意識)は、自力で生きようとする。
そのため、自力で集めようとしたり、自力で成り立たせようとするのである。
頭で考える人は自力に頼る。
自力だけが信用に値(あたい)し、自力に頼ることですべてが上手くいくと思っているのだ。
そのため、富を信仰(しんこう)し、頭に頼って生きている人が利己的に成るのは仕方のないことなのである。
2021年8月22日日曜日
追憶 3240
魂に従(したが)って生きている人は、利他的である。
そのような人は、頭が考えているような損得勘定には従わない。
損得勘定がなければ、受け取ることは考えずに与えるのである。
頭で考える利己的な人は、報酬(ほうしゅう)を考えてから与える。
そして、報酬に釣り合わないことはしない。
彼等の行なっているのは取引(商売)であり、慈善活動ではないのである。
富を信仰(しんこう)している人は、必ず報酬を考える。
それは、報酬を考えなければ、仕事や会社や金儲(かねもう)けや贅沢(ぜいたく)な暮らしが成り立たないからである。
2021年8月21日土曜日
追憶 3239
利他的な人が金持ちになれるだろうか?
残念ながら、利他的な人が金持ちになることはない。
なぜなら、与えるからである。
金を集めるから金持ちなのだ。
金を与える人は金持ちにはなれない。
頭で考える人は、利己的に集める。
損得勘定は、頭で考えるものなのである。
2021年8月20日金曜日
追憶 3238
傲慢さや狡猾さが増せば、人は頭だけで考えるようになる。
それは、利己的になるということなのだ。
人は、頭で考えると自分を中心とした本能や自我意識に従ってしまうのである。
富を信仰(しんこう)する人は、頭や本能や自我意識に従うために利己的になってしまう。
どのように利他的な人物を演じたとしても、利己的であることを否定することは出来ないのである。
2021年8月19日木曜日
追憶 3237
多くの人が、生きることに懸命である。
生き残るためには、傲慢(ごうまん)に、狡猾(こうかつ)に立ち振る舞わなければならないだろう。
ルールを守っているような者は生き残ることが出来ない。
ルールを新たに作るような者が、図太(ずぶと)く生き残るのである。
生きることに懸命になる程に、人は傲慢さや狡猾さを増すのである。
2021年8月18日水曜日
追憶 3236
多くの人は、どうやったら金を稼(かせ)ぎ、富を蓄(たくわ)えられるかを考えている。
多くの人の頭や心の中は、富のことで埋め尽くされているのである。
そのため、多くの人は、人生の目的について考えることが出来ない。
富のことで手一杯であり、人生の意味や意義(いぎ)について考える余裕がないのである。
2021年8月17日火曜日
追憶 3235
今日(こんにち)の日本人の多くが、西洋形の価値観を中心として生きている。
ここでいう西洋形の価値観とは、富を信仰(しんこう)する合理的、科学的な価値観のことである。
今日の日本人は、“神”よりも富を信仰する人の割合が多いだろう。
それが、生き辛さの正体である。
多くの人は、金を求め、金に動かされ、金によって争い、金に一喜一憂し、金に人生を決められる。
2021年8月16日月曜日
追憶 3234
財産の量を競ったところで、それがどうなるというのだろう?
誰かよりも何かを多くを持っているとか、誰かよりも何かが少ないとか、それが何になるというのか?
財産の量を競っている彼等は、結局のところ富という鎖(くさり)に繋がれた富の奴隷(どれい)に過ぎないのである。
日本には、確かに“神”への信仰(しんこう)が根付いていた。
しかしながら、現在では、富への信仰が優っているように思える。
2021年8月15日日曜日
追憶 3233
奴隷は、自分を縛(しば)り、自由を奪う憎(にく)むべき鎖(くさり)に愛着を抱き、その自慢さえ始めてしまうそうだ。
慣(な)れとはそういうものである。
続けてきた習慣を手放すのは断腸(だんちょう)の思いであるかも知れない。
しかしながら、それを続けることには大きなリスクがある。
奴隷が鎖を自慢し続けたとしてどうなるというのだろう?
奴隷同士で優劣を競ったとしてどうなるのか?
富を信仰(しんこう)する人達は、財産という鎖を自慢しているのである。
2021年8月14日土曜日
追憶 3232
多くの人は、例え重荷であったとしても、それが無くなることに不安を覚える。
多くの人は、今まで通りにしたいのである。
重荷を背負って歩くことに慣(な)れた人は、重荷によってバランスを取っている。
それは、“奴隷の鎖(くさり)自慢”のような感覚であるだろう。
わたしは、奴隷船で運ばれる黒人男性としての前世を持つ。
しかしながら、わたしは誰かに鎖を自慢するようなことはしなかった。
わたしは、奴隷としての生活に慣れる前に、重荷を手放すために鎖を付けたままで海に飛び込んで死んだのである。
2021年8月13日金曜日
追憶 3231
面白いもので、人間はそれが重荷であると分かっていたとしても、それを手放すことが出来ない。
手放せば楽になるにもかかわらず、手放すことを恐れるのだ。
それは、習慣としての愛着があるからだろう。
多くの人は、無益な愛着に固執(こしゅう)する。
傲慢(ごうまん)や強欲(ごうよく)などの重荷など、手放せば良いのだ。
しかしながら、今まで頼りにして来た所有物を手放すことは難しいのである。
2021年8月12日木曜日
追憶 3230
人生の問題や苦しみは、それを手放させるために導かれるのだ。
重たい荷物をいつまでも抱えておくことは出来ないだろう。
重たい荷物は、手放さなければならない時がやってくるのである。
傲慢(ごうまん)という荷物は、わたし達が抱えるには大き過ぎるし、重た過ぎる。
人間には、傲慢という荷物は重荷なのである。
2021年8月11日水曜日
追憶 3229
わたし達は、余りにも多くの問題や苦しみを抱えている。
それは、それ程に大きな傲慢(ごうまん)を抱えているからだ。
わたし達には、そのように大きな荷物を抱えることは出来ない。
抱え切れないから、それが人生に対して問題や苦しみとして現れるのである。
2021年8月10日火曜日
追憶 3228
傲慢(ごうまん)を手放すことで、恵みを受け取ることが出来る。
人生における問題や苦しみは、わたし達が傲慢を手放すために導かれるのだ。
富への信仰(しんこう)を手放し、“神”へと近付くためには、問題や苦しみによって傲慢を手放さなければならない。
どうすることも出来ない問題や苦しみに会った時には、傲慢は手放さなければならないのである。
傲慢に執着している間は、問題や苦しみは決して解決しないのである。
2021年8月9日月曜日
追憶 3227
わたし達は、叱(しか)られることで助けられているのだ。
わたし達が叱られる時、相手は自分のことを考えているかも知れないし、相手のことを考えているかも知れない。
どちらにしても、叱られた方は新たな視点や考え方を得るだろう。
それは、結果的に叱った相手を助けるのである。
問題や苦しみは、人生がわたし達を助けるために与える恵みなのである。
2021年8月8日日曜日
追憶 3226
すべての人は叱(しか)られなければならない。
なぜなら、すべての人は未熟であり、無知であるからだ。
叱られなければ、気が付くことは出来ない。
わたし達は、叱られなければ大切なことに気が付かないのである。
人生は、わたし達の未熟さを叱る。
それは、様々な問題や苦しみによって叱るのである。
しかしながら、それは、わたし達を助けるために行われるのである。
2021年8月7日土曜日
追憶 3225
何をしても叱(しか)られたり、怒られたりしなければ、それが正しいと勘違いをしたまま悪化してしまうだろう。
無関心は、歪(ゆが)みを助長してしまうのである。
報いを受けることが出来るということは、やり直せるチャンスなのである。
しかしながら、傲慢(ごうまん)な者には、そのことが分からないだろう。
傲慢な者は、自分に向けられる批判(ひはん)を嫌うのである。
2021年8月6日金曜日
追憶 3224
それは破滅の道である。
天秤(てんびん)自体が重さに耐え兼ねて倒れてしまえば、それ以上は計ることも出来ない。
叱(しか)られたり、怒られているうちが花である。
なぜなら、報(むく)いがあるうちは改めることが出来るからだ。
報いすら受け取ることが出来なくなってしまえば、改めることも出来ないのである。
2021年8月5日木曜日
追憶 3223
傲慢(ごうまん)に生きた者は、その報(むく)いを受けなければならない。
もちろん、謙虚(けんきょ)に生きた者も報いを受けるが、その内容は異なるものである。
富に仕(つか)えた者は富を得て死に、“神”に仕えた者は“神”と共に生きるだろう。
報いは、調和を保つための必要である。
報いによってバランスが保たれるのだ。
報いを受けなければ、バランスが崩れたとしても、そのまま一方に重きを起き続けることになるだろう。
2021年8月4日水曜日
追憶 3222
人は、自らの蒔(ま)いた種から生じた実りを収穫しなければならない。
それが、自然の法則であり、この世の理(ことわり)なのだ。
遊びたい気持ちを抑(おさ)え、宿題をすることは苦しみである。
しかしながら、遊びを我慢するという苦しみに耐(た)えて、夏休みの間に宿題を終わらせた者は、休み時間や放課後に友達と遊ぶ権利を与えられる。
すべての人は、自らの行いによる報(むく)いを受けているのである。
2021年8月3日火曜日
追憶 3221
それは、天秤(てんびん)のようなものである。
都合の良いことをすれば、都合の悪いことが起こる。
夏休みの宿題を放置して遊んでいれば、学校の再開と共に先生に叱(しか)られ、通常の宿題に加えて夏休みの宿題もこなさなければならないのである。
先生が、夏休みの宿題を免除(めんじょ)してくれるだろうか?
残念ながら、そのようなことはない。
休み時間や放課後にも、夏休みの宿題をしなければならないのである。
2021年8月2日月曜日
追憶 3220
自然災害が起きるのは、富を信仰(しんこう)する人達が自然環境から様々な利益を抜き取ったからである。
自然は、良いものを抜き取られたことで生じたバランスの乱れを、悪いものを放出することで取り戻そうとしているのである。
バランスを保つためには、崩れた方とは逆の動きをしなければならない。
良いものを取れば、悪いものを取らなければならないのである。
2021年8月1日日曜日
追憶 3219
傲慢(ごうまん)な人は、人生に特別な体験が存在すると思っている。
そのため、強欲な人は、自分にとって都合の良い特別な体験だけを抜き取ろうとするのである。
しかしながら、本来ならば、都合の良いことと都合の悪いことは一つの“和”の中に存在する。
特別な体験など、どこにも存在しないのである。
それが自然である。
しかしながら、富を信仰(しんこう)する人達は、そこから良いものだけを得ようと努めているのだ。
そのため、人生には様々な問題や苦しみが引き起こされる。
それは、人生が調和を保つためなのである。
新しい投稿
前の投稿
ホーム
登録:
投稿 (Atom)