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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2019年11月12日火曜日

追憶 2592

だから、問題に対して本気で悲しみ、怒り、絶望し、恨(うら)むのである。
もしも、問題が傲慢(ごうまん)を砕くために導かれているということを理解していれば、そのようなことにはならないのである。
人生のシステムである、問題が導かれる目的を理解するのであれば、問題に対しては感謝の気持ちが芽生えるはずなのだ。
問題に対して、感謝の気持ちを抱くことが出来ないということは、問題が導かれる理由を理解することが出来ていないということである。
そして、人生を信用することが出来ていないということなのである。

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