だから、問題に対して本気で悲しみ、怒り、絶望し、恨(うら)むのである。
もしも、問題が傲慢(ごうまん)を砕くために導かれているということを理解していれば、そのようなことにはならないのである。
人生のシステムである、問題が導かれる目的を理解するのであれば、問題に対しては感謝の気持ちが芽生えるはずなのだ。
問題に対して、感謝の気持ちを抱くことが出来ないということは、問題が導かれる理由を理解することが出来ていないということである。
そして、人生を信用することが出来ていないということなのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿