光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2020年9月25日金曜日
追憶 2910
それは、学びの樹である。
学びは、様々な工程を用いて学びを導く。
例えば、傲慢(ごうまん)を教えるために腰痛を導くようにである。
彼にとって、腰痛は果実であったのではないだろうか?
そして、わたしがそこから種を取り出して彼に手渡す。
そこで、彼は自らの傲慢さに気が付いて改める。
このような段取りの学びであるだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿
次の投稿
前の投稿
ホーム
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿