光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年10月31日月曜日
追憶 3675
知り合いは自責の念に心を痛めながら、助かるはずもないハクビシンを近くの草むらに運ぶことしか出来なかった。
年配の女性は知り合いを罵倒(ばとう)していたが、その場を離れるしかなかったそうである。
年配の女性が、瀕死のハクビシンに心を痛め、知り合いを責めた気持ちは理解することが出来る。
2022年10月30日日曜日
追憶 3674
呆然(ぼうぜん)と立ち尽くす知り合いの前で、年配の女性が倒れているハクビシンに駆け寄り、「可哀想に」などと連呼しながら知り合いに詰め寄ったのである。
ハクビシンに瀕死(ひんし)の怪我を負わせたのは知り合いである。
それは確実な事実だ。
知り合いは、年配の女性に責められる前に自分自身を責めている。
2022年10月29日土曜日
追憶 3673
状態から見て命が尽きるのは時間の問題で、知り合いには手の施(ほどこ)しようがなかった。
すると、早朝にもかかわらずにけたたましくクラクションが鳴った。
驚いて振り返ると、近くに停まっている車がクラクションを鳴らしているようであった。
そして、車からは年配の女性が降りて来た。
2022年10月28日金曜日
追憶 3672
先入観は危険な偏見である。
先入観に従うと、騙(だま)されてしまうのである。
例えば、この間、知り合いが早朝に車を運転していると、急にハクビシンが飛び出してきたそうだ。
知り合いは避けることが出来ずにハクビシンと接触してしまった。
車から降りて確認すると、ハクビシンには辛うじて息があったが、瀕死(ひんし)の状態であったようである。
2022年10月27日木曜日
追憶 3671
それは、日本も同じことである。
金持ちの隣に貧しい暮らしがある。
日本にも、恵まれない子どもがたくさんいる。
アフリカの恵まれない子ども達の“宣伝”によって、先入観が植え付けられているが、確認することが難しいために、それを真実だと思ってしまうのである。
2022年10月26日水曜日
追憶 3670
金持ちにも人格者や野蛮な人はいるし、貧しい人にも野蛮な人や人格者はいるのである。
アフリカ大陸には貧しい人達がいる一方で、金持ちもいるのである。
アフリカ大陸には貧しい国もあり、豊かな国もあるだろう。
どのような国にも、貧しい地方と豊かな地方があるのである。
2022年10月25日火曜日
追憶 3669
実際には分からないが、がりがりに痩せた子どもは一部の特殊な事例であるだろう。
一部であっても、存在することは事実である。
しかしながら、先入観で見るとそれが平均的や多数に思えてしまうのだ。
例えば、金持ちは人格者だとか、貧しい人は野蛮(やばん)だというのも先入観に過ぎない。
2022年10月24日月曜日
追憶 3668
わたし達は、ガリガリに痩せた子どもの写真を見せられて、それが全体的なものと思い込んでいるだけなのではないだろうか?
アフリカ=(イコール)貧しい国であり、どこの地域も飢えた子ども達で溢れかえっているというような印象を植え付けられていただけではないだろうか?
2022年10月23日日曜日
追憶 3667
広告塔のタレントには他の収入源があり、ボランティアでアフリカの恵まれない子ども達に対する献金の広告塔を担っているのかも知れないが、豪華な家具や美術品に囲まれた贅沢な暮らしを好む者がボランティアで働くことは考え難いだろう。
アフリカの恵まれない子ども達に対する献金は、貧困ビジネスであると言えるのではないだろうか?
2022年10月22日土曜日
追憶 3666
小学生の頃のわたしが真面目に授業を受けていなかったからかも知れないが、わたしの思い込みと実際には、大きな違いがあったのである。
わたし達は、アフリカの恵まれない子ども達のための献金をお願いされている。
しかしながら、広告塔となっているタレントは、豪華な家具や美術品に囲まれた一般的とは言えない贅沢な暮らしをしている。
2022年10月21日金曜日
追憶 3665
例えば、ベルリンの壁は、ドイツ国内を西と東に分断するように立てられた壁のことではない。
当時、西ドイツと東ドイツで対立していたが、ベルリン市内の西側と東側を分けるために作られた壁である。
ドイツの国土からすれば、とても小さな壁である。
西ドイツと東ドイツを分断する象徴(しょうちょう)であったために、わたしの中では、国土を分断するように長い壁が築かれたのだと思い込んでいた。
2022年10月20日木曜日
追憶 3664
実際に現地に行って見聞きした訳ではないから、実情というものは分からない。
本当に飢(う)えているかも知れないし、一部だけを切り取っているだけかも知れないのである。
大抵の人は、アフリカのどの国の、どの地方の、どのような人に献金(けんきん)が渡っているかを知らない。
わたし達は、アフリカの恵まれない子ども達としか聞いていないのである。
2022年10月19日水曜日
追憶 3663
子ども達が恵まれているのであれば、献金は必要ない。
それでは困る連中がいる。
それは、恵まれない子ども達が存在することによって利益を得る人達である。
残念ながら、そのような連中が存在するのである。
政府が誠実に仕事をしていれば、子ども達が飢(う)えることなど有り得ないだろう。
2022年10月18日火曜日
追憶 3662
どれだけ外部の人間が援助したとしても、その国の政府に助ける気がなければ助からないのである。
政府が誠実な政治をしているのであれば、外部からの援助などなくても、子ども達は恵まれているのである。
しかしながら、子ども達が恵まれることはない。
残念ながら、子ども達が恵まれては困る連中がいるのように思えて仕方がないのである。
2022年10月17日月曜日
追憶 3661
例えば、ボランティア団体が誠実に仕事をしたとしても、その国の政府が誠実に仕事をするとは限らない。
なぜなら、恵まれない子ども達のための献金は、巨大な不労所得だからである。
子ども達がいつまで経っても恵まれない根本的な理由は政治である。
2022年10月16日日曜日
追憶 3660
ボランティア精神は、金儲(かねもう)けとは真逆の立ち位置である。
ボランティア精神では金儲けは出来ない。
金儲けに長けていなければ、組織の運営を任されることはないのである。
そのため、純粋なボランティア精神を持つ善良な人が組織の上層部として仕事をすることは出来ないのである。
2022年10月15日土曜日
追憶 3659
なぜなら、そこは金の集まる場所だからである。
金の集まる場所では、金への信仰心(しんこうしん)が強くなければ生き残れないのである。
金への信仰、執着(しゅうちゃく)、熱意、狡猾(こうかつ)さなどが強くなければならないのだ。
ボランティア精神では、金の世界では生き残れないのである。
2022年10月14日金曜日
追憶 3658
ボランティア精神で働く人たちは、最低限の生活費や活動費でも文句は言わないだろう。
それは、上層部にとっては好都合である。
なぜなら、自分たちの取り分が増えるからだ。
世界的なボランティア団体の上層部が、ボランティア精神で働くだろうか?
残念ながら、そのような人は上層部にはなれないのである。
2022年10月13日木曜日
追憶 3657
某団体に携わる人たちの生活費は、献金から捻出されるはずである。
現場で作業する人たちの生活費や活動費も、献金から捻出されるだろう。
しかしながら、現場で働く多くの人は、ボランティア精神によって働く人たちである。
そのような人たちは金のためには働かないだろう。
そのため、恐らくは、そのような人たちには、最低限の生活費や活動費が支給されるだけであるだろう。
2022年10月12日水曜日
追憶 3656
アフリカのいつまで経っても恵まれない子ども達のための献金は、金を上手く使えない一例だろう。
多額の献金を扱う某団体の上層部は、金によって腐っているに違いない。
初めは、恵まれない子ども達を助けようという純粋な気持ちによって某団体に携(たずさ)わったのであろうが、恵まれない子ども達がいつまでも助からないということは腐ってしまったということなのである。
2022年10月11日火曜日
追憶 3655
献金すること自体は良いことである。
金を眠らせておくよりは、有効活用した方が良いに決まっている。
金も上手く使えば誰かの一助(いちじょ)と成り得る。
金も上手く使えば、問題を解決する助けとなるのだ。
しかしながら、上手く使えなければ、誰かを苦しめる枷(かせ)となってしまうのである。
2022年10月10日月曜日
追憶 3654
全世界から相当な額の献金があるはずだが、何十年経ってもアフリカの子供たちは恵まれていないのである。
アフリカの子供たちが救われないのは、世界中からの多額の献金が、彼等のために使われていないからであろう。
世界中からの多額の献金が正しく使われているのであれば、何十年も同じ状況が続いているのは可笑しなことなのである。
2022年10月9日日曜日
追憶 3653
金持ちが金持ちであるのは、盲目(もうもく)な信者のおかげである。
自分自身で考えることの出来ない哀(あわ)れな消費者がいなければ、金持ちは金持ちではいられないのである。
例えば、某慈善団体は、何十年も恵まれないアフリカの子供たちに対する支援を呼び掛け続けている。
2022年10月8日土曜日
追憶 3652
イエスは、金を信仰(しんこう)する人達によって処刑されることになる。
なぜなら、イエスは宗教や商売や政治にとって邪魔な存在であったからだ。
金を信仰する人にとって、“神”を信仰する人は障害である。
なぜなら、金を信仰する盲目(もうもく)な信者を増やすことが出来ないからである。
2022年10月7日金曜日
追憶 3651
“神”への信仰(しんこう)のある人からすれば、イエスの言動は当たり前のことであるが、金を信仰している人には理解することが出来ない言動であるだろう。
このような“正論”の積み重ねが、金を信仰する人達に恨(うら)みを募(つの)らせ、イエスを処刑するという状況へと繋がるのである。
2022年10月6日木曜日
追憶 3650
そして、イエスはそこで売り買いしていた多くの人に言った。
「こう書いてある。「わたしの家はすべての国の人の祈りの家と呼ばれるべきである。」ところがあなた達はそれを強盗の巣にしてしまった。」
これは、“神”を使って不当な利益を貪(むさぼ)る人達の下劣(げれつ)さを弾劾(だんがい)する言葉と行為である。
2022年10月5日水曜日
追憶 3649
金の集まるところには、“神”への信仰(しんこう)は存在することが出来ない。
なぜなら、“神”への信仰のあるところには、多くの金は集まらないからである。
イエスがエルサレムの神殿に入った時、そこには多数の商人や両替人がいて商売をしていた。
それを見たイエスは、そこにいた多くの客や商人達を追い出し、商品の棚や両替の台をひっくり返した。
2022年10月4日火曜日
追憶 3648
その慈善団体が有名で大規模である程、慈善活動からは遠ざかる。
なぜなら、有名で大規模である程に金が集まるからだ。
金が集まるところには金への信仰(しんこう)と信者がいる。
初めはいないかも知れないが、金の集まるところには必ず金への信仰が生まれ、信者が生じるか集まるのである。
金への信仰と信者がいなければ、金は集まらないのである。
2022年10月3日月曜日
追憶 3647
もしも、この金持ちが“神”を信仰し、思いやりを以(もっ)て人助けをするつもりであったのならば、イエスの言葉を受けて、悲しみながら立ち去ることなど有り得ないのである。
同じことを某(ぼう)慈善団体の著名人が言われたら、同じように立ち去るだろう。
それは、この著名人が偽善者であり、慈善活動が金儲けの道具に過ぎないからである。
2022年10月2日日曜日
追憶 3646
その言葉を聞いた金持ちは、悲しみながら立ち去ったのである。
それは、金持ちがたくさんの財産を所有していたからであろう。
この金持ちは、偽善者である。
偽善者であるから、持ち物を売り払い、貧しい人達に施しなさいと言われた時に悲しみながら去るのである。
2022年10月1日土曜日
追憶 3645
金儲けのために慈善活動をしているのである。
決して、貧しい人達のためではない。
イエスが金持ちに「どうすればの永遠の命が得られますか?」と聞かれた時に答えたのは、「行って持ち物を売り払い、貧しい人達に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それからわたしに付き従いなさい」という言葉であった。
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