光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年1月31日月曜日
追憶 3402
それは、金持ちを任せられた者もいるからだ。
金持ちを任せられた者は、求めなくても金持ちと成る。
ゴウタマは、釈迦族(しゃかぞく)の王子として生まれた。
彼は、生まれながらの金持ちだったのである。
それは、彼が金持ちを経験しなければならなかったからだ。
彼の場合は、金持ちを経験することで、結果的に金持ちとしての立場を捨てたのである。
2022年1月30日日曜日
追憶 3401
“神”に忠実であるということは、人生の目的や自らに与えられた役割を受け入れるということである。
それは、自らのカルマを受け入れるということでもあるだろう。
“神”に忠実であるということは、運命に逆らわないことである。
富を投げ出し、貧しく生活したからといって“神”に忠実であるとは限らない。
2022年1月29日土曜日
追憶 3400
人は、意識の山を登る。
意識の山を登り、“神”へと近付く。
意識の山を登り切ることで、人は輪廻(りんね)を離れる。
富に執着(執着)している間は、意識の山を登り切ることは出来ない。
ただし、財産や命を投げ出せるからといって、それだけでは意識の山を登ることは出来ない。
意識の山を登るためには、“神”に忠実でなければならないのである。
2022年1月28日金曜日
追憶 3399
イエスは、“神”に重きを置いた。
イエスは、“神”の子としての道を選んだのである。
“神”は、イエスに対して、富を信仰(しんこう)する盲目(もうもく)な人達のために、富を手放す見本となるように命令したのである。
それは、仏教でいうところの解脱(げだつ)をさせるためである。
2022年1月27日木曜日
追憶 3398
しかしながら、彼等はそのような道を歩まなかった。
イエスに至(いた)っては、自ら処刑される道を選んだのである。
金持ちにとっては理解することが出来ない行為であるだろう。
金持ちは長生きを望む。
それは、金持ちは、この世の富に価値を置くからだ。
金持ちは、富や地位や名声や時間や命に執着(しゅうちゃく)する。
イエスは金持ちにはならなかった。
イエスは金持ちにならなかったから、この世の富に価値を置かなかったのである。
2022年1月26日水曜日
追憶 3397
彼等には、今昔(こんじゃく)の宗教指導者のように、有り余る地位や名声や財産を得ることなど容易(たやす)かったであろう。
何の霊的な能力も無い宗教指導者が、ゴウタマやイエスの名前を利用して金持ちに成っているのだから、ゴウタマやイエス本人であれば、ソロモン王以上の金持ちに成れたかも知れないのである。
2022年1月25日火曜日
追憶 3396
心や魂の清らかな金持ちはいるだろうか?
残念ながら、心や魂が清らかであれば、金持ちでいようとは思わないだろう。
なぜなら、意識の山には“神”が存在するからである。
ゴウタマもイエスも、金持ちに成ろうと思えばいつでも可能であっただろう。
しかしながら、彼等が金持ちに成ることはなかった。
寧(むし)ろ、彼等は貧しく生きたのである。
2022年1月24日月曜日
追憶 3395
傲慢(ごうまん)な人にとっては、金持ちは良いものに見える。
この世では、金持ちは良いものとして持て囃(はや)されているだろう。
多くの人は、その座を得るために心や魂を汚す。
しかしながら、そのことには気が付かない。
多くの人は、心や魂を汚す代わりに、僅(わず)かな富を得て喜ぶのである。
2022年1月23日日曜日
追憶 3394
非情に生きる者は、多くの人と同じように空しさを生きなければならない。
非情な者は満たされないのである。
満たされないから求め続けなければならないのだ。
非情な者は、求め続けて金持ちに成る。
多くの人は、金持ちを羨(うらや)む。
そして、我先にと、金持ちの座を奪い合っている。
しかしながら、金持ちは神の国には入れない。
それは、満たされないということである。
2022年1月22日土曜日
追憶 3393
非情な者が、神の国に入ることは出来ない。
それは、神の国には、思いやりや愛情が溢れているからである。
神の国とは天国のことだ。
思いやりや愛情が溢れているからこそ天国なのである。
非情な者は、神の国には入れない。
非情な者は、神の国に相応(ふさわ)しくないのである。
2022年1月21日金曜日
追憶 3392
しかしながら、富を信仰(しんこう)する者が、道理に叶って生きることは難しい。
なぜなら、多くの人は、富むために理性を手放すからである。
多くの人は、富を得るために非情を選ぶ。
より多く富を得ようとすれば、思いやりや愛情からは遠く離れなければならないのである。
イエスが、“金持ちが神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方がまだ易(やさ)しい”と言ったのは、金持ちになるためには、多くの人が非情を選ばなければならないからであろう。
2022年1月20日木曜日
追憶 3391
富を否定し、貧しい者が褒(ほめ)められる訳ではない。
“神”は、その人の行いに従って命を与えるのである。
“神”の与える命とは、長生きのことではない。
それは、豊かな時間のことである。
富んでいて命を与えられる者もいれば、貧しくて命を与えられる者もいる。
“神”は、道理を教えるために命を与えもし、奪いもするのである。
2022年1月19日水曜日
追憶 3390
“神”よりも富んでいる者はいない。
人が“神”に懇願(こんがん)するのは、子どもが親に懇願するのと同じことである。
親は、子どもがお小遣いを返上したからといって、他の子どもと差別などしない。
しかしながら、親は、その行いによって子を差別するのである。
それは、子に道理を教えるためである。
2022年1月18日火曜日
追憶 3389
富で命を伸ばすことは出来ない。
金持ちでも短命の者もいれば、貧しくて長生きする者もいる。
“神”に富を積んだところで、命を売ってはくれないのである。
“神”は富を欲しがらない。
なぜなら、“神”は誰よりも富を所有しているからだ。
“神”は、すべてである。
なぜなら、富を存在させたのは“神”なのである。
2022年1月17日月曜日
追憶 3388
しかしながら、どれだけの富を費やしても、命を生み出すことも、それを引き延ばすことも出来ない。
人間は、富の力で肉体を生み出すことが出来るようになるかも知れないが、命を生み出すことは出来ないのである。
母親は、子どもに命を与えることが出来ない。
命は、“神”が与えているのである。
ソロモン王のような大金持ちであったとしても、命を買うことは出来ない。
金持ちは長生きを切望するが、全財産を費やしたところで、命を一秒たりとも買えないのである。
2022年1月16日日曜日
追憶 3387
しかしながら、富を信仰(しんこう)する人達は、この世で最も優れているものは富だと信じている。
そのため、“神”が用意した人生に対して反抗的に生きるのである。
富への信仰が強い人程、人生を受け入れることが出来ない。
なぜなら、富の力があれば、人生を思い通りに出来ると信じているからだ。
2022年1月15日土曜日
追憶 3386
命は、どれだけの富を費やしても手に入れることは出来ない。
しかしながら、“神”によっては無償で与えられる。
富によっては不可能なことも、“神”によっては容易(たやす)いのである。
そのため、人間的に唯物論を通して見ても、富よりも命の方が価値があるし、富よりも“神”の方が優れていることが分かるのである。
2022年1月14日金曜日
追憶 3385
冷静に考えると、富よりも命の方が価値があると言えるだろう。
なぜなら、どれだけの富を費やしたところで、命を製造することは出来ないからである。
命は、買えないのである。
富は、人間の自分勝手な価値観でしかない。
宝石や黄金や貨幣に価値を置くのは、人間の勝手なのである。
本来ならば、すべてに等しい価値がある。
矛盾(むじゅん)しているように聞こえるかも知れないが、本来ならば、命も富も等しいものなのである。
2022年1月13日木曜日
追憶 3384
多くの人が、富によって誠実さや清らかさを失う。
多くの人が、富に魂を売り渡し、汚れてしまうのである。
富と他者の命はどちらが重いだろう?
富を信仰(しんこう)する人は、富が重いと答えるだろう。
それが、富への信仰の本質なのである。
2022年1月12日水曜日
追憶 3383
ソロモン王は、知恵に長けた人物であった。
しかしながら、そのような人でも富に汚されて“神”を捨てた。
若い頃のソロモン王は、富と熱した炭が同じものだと知っていただろう。
そのため、主(神)に対して知恵を求めたのである。
しかしながら、いつの間にかに富が知恵を凌駕(りょうが)してしまったのである。
多くの人は、狂信的に富を信仰(しんこう)している。
彼等は、富に魂を売っているのである。
2022年1月11日火曜日
追憶 3382
しかしながら、必要以上の富が心を焼き、魂を痛めることを知っている人は少ない。
熱した炭も、必要以上の富も同じものである。
しかしながら、多くの人はそれ等を同じものとは思わない。
必要以上の富を蔵に欲するのは、熱した炭を懐(ふところ)に欲するのと同じだと理解しなければならないだろう。
2022年1月10日月曜日
追憶 3381
熱した炭を懐(ふところ)に入れて平気な者はいない。
それは、衣を焼き、肌を痛めるからである。
必要以上の富は、人にとっての苦しみであることを知らなければならない。
熱した炭を懐にしまうことは愚(おろ)かなことである。
すべての人はそのことを知っている。
2022年1月9日日曜日
追憶 3380
主に愛され、知恵に満ちたソロモン王でさえ堕落(だらく)してしまった。
“神”への信仰(しんこう)を極めるためには、必要以上の富を欲したり、所有したりしないことである。
欲(富)を手放さなければ、汚れてしまうのである。
それは、懐(ふところ)に熱した炭をしまうようなことである。
2022年1月8日土曜日
追憶 3379
若い頃のソロモン王は、主(神)に尊(とうと)ばれた人物であった。
主に知恵が欲しいと答えた時にも喜ばれたのである。
しかしながら、富によって汚れ、“神”を見失ってからは堕落(だらく)してしまった。
ソロモン王は、意識の山を転げ落ち、麓(ふもと)にまで到達した。
しかも、麓で最も大きな金持ちになったのである。
2022年1月7日金曜日
追憶 3378
しかしながら、本当にそうだろうか?
本当に、経済的に豊かであることが幸せなのだろうか?
経済的に最高の状態を得たソロモン王は、すべてが空しいと嘆(なげ)いたのである。
それは、どれだけ経済的な豊かさを得たとしても、そこに“神”がいなかったからであろう。
ソロモン王は、箴言(しんげん)において“主を恐れることは知恵のもとであり、聖なる者を知ることは悟りである”と書き残している。
また、“少しの物を所有して主を恐れるのは、多くの宝を持って苦労するのに勝る”とも書き残している。
2022年1月6日木曜日
追憶 3377
富への信仰(しんこう)が極まったソロモン王は、苦労して地位や名声や財産や欲望を満たしたとしても、心(魂)を満たすことが出来ずに空しいというのである。
多くの人は、ソロモン王のように成りたいと願っているだろう。
多くの人が貧しさを嫌い、金持ちに憧れている。
それが“普通”である。
今日(こんにち)の世界は、経済が幸せの指標のような扱いを受けている。
経済的に豊かであり、贅沢に暮らす方が幸せであるという価値観が蔓延(はびこ)っているのである。
2022年1月5日水曜日
追憶 3376
“空の空。すべては空。日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になろう。”
ソロモン王は、伝道者の書の冒頭にこう記してある。
日の下とは、天下のことである。
それは、地上のことであり、物質的な価値観を意味している。
つまりは、富への信仰(しんこう)である。
2022年1月4日火曜日
追憶 3375
富への信仰(しんこう)が極まると“神”を捨てる。
“神”への畏怖(いふ)や敬意を忘却(ぼうきゃく)し、反逆するようになるのである。
富を蓄えた傲慢(ごうまん)な者が意識の山を登ることは出来ない。
当然、“神”に会うことも出来ないのである。
ソロモン王は、人間が欲しがるすべてを手に入れたが、すべてが空しいと書き残している。
2022年1月3日月曜日
追憶 3374
栄華(えいが)を極めたソロモン王は、その栄華によって“神”を見失ってしまう。
これは、多くの愚(おろ)か者が陥(おちい)る道である。
多くの愚か者は、富の信仰(しんこう)によって皆が羨(うらや)み迎合(げいごう)する財産や地位や権力を得る。
そうすると、天界でルシファーが傲慢(ごうまん)によって“神”に反逆したように、愚かな人間が傲慢に陥って“神”に逆らうのである。
2022年1月2日日曜日
追憶3373
ソロモン王は、神から与えられた知恵を富の信仰(しんこう)に使った。
強大な権力、有り余る財産、広大な領土…
その他に七百人の妻と、三百人の妾(そばめ)を得たようである。
彼の富への信仰は極まった。
こうなると、“神”への信仰は失われる。
年老いたソロモンは、領土を拡大する際に周辺諸国から多くの妻を迎えたが、その際に彼女達が崇拝(すうはい)する偶像(ぐうぞう)に従い、“神”への信仰を完全に失ってしまったのである。
2022年1月1日土曜日
追憶 3372
それは、富への信仰(しんこう)を極めても空しいということを意味している。
ソロモン王は、王の座に着いた若い時に、主(神)に欲しいものを尋(たず)ねられ、“人々を正しく裁くことの出来る知恵が欲しい”と返したそうである。
主は彼に知恵を与えた。
そして、ソロモン王は知恵によって、有り余る程の財産や権力を得た。
彼の財産の大きさは、黄金を石ころのように扱っていたという逸話(いつわ)によって理解することが出来るだろう。
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