光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2021年9月3日金曜日
追憶 3252
利己的に生きたとしても、理解することが出来るのは小さな世界観である。
自分自身のために生きたとしても、物事の本質を見極める力は育たない。
自分自身が救われるために修行を続けても、悟りは得られないのである。
それは、自分には、相対的に他者が存在するからである。
自分自身のために生きたとしても、分かることは半分以下であるだろう。
視野の狭い人には、分かることが少ないのだ。
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