自然に生きれば、富に対する信仰(しんこう)は小さくなっていくものである。
正しく成長すれば、物質的な価値観や生き方には無理があることを悟るのである。
しかしながら、不自然に生きているのであれば、物質的な価値観や生き方にこそ救いがあると信じてしまうのだ。
自分自身や他者の肉体的な欲求の減少や、他者の死を体験すれば、富に救いが無いことを理解することが出来るだろう。
豪華な葬式に、煌(きら)びやかな衣装の坊主の高価なお経と戒名(かいみょう)、多くの仕事関係の人間を集め、遺産を巡って争う親族を見ても、幸せな生涯だったと思えるだろうか?
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