多くの人が、多くの場合、目の前の問題を否定したり、そこから逃れようとするだろう。
それも間違った選択ではないが、理(ことわり)を収穫するためには最善の方法ではないといえる。
理とは本質のことであるが、本質を得るためには、観察し、研究する必要があるだろう。
なぜなら、わたし達は“出来が悪い”からである。
残念ながら、自分が何かも知らず、人生が何かも知らないのだ。
それなのに、人生に存在しているし、多くの人は何かを知っているかのように振る舞っている。
これ程、出来の悪いことはないだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿