常識的に生きたところで、理(ことわり)を理解することは出来ない。
常識とは、人の偏見(へんけん)が生み出した誤解のことである。
常識という名の誤解は、理から最も遠くに位置していると言えるだろう。
人間社会が自然環境を破壊しているのを見れば、理から最も遠くに位置していることを理解することが出来るだろう。
残念ながら、常識的に生きても、理を理解することが出来ない。
それは、人生に満足を得ることが出来ないということなのだ。
人生に満足を得るためには、ある意味、非常識に生きなければならないのである。
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