このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2020年5月31日日曜日

追憶 2793

お金は人生を豊かにする一つの歯車である。
お金が無ければ生活は成り立たないし、人の心は落ち着かない。
しかしながら、お金は自然の一部であると認識しなければならないだろう。
自然環境が成り立たなければ、お金をどれだけ持っていても意味がないのである。
お金に対する行き過ぎた信仰が、内部から自然を破壊してしまうのだ。
お金に魂を売った人達には、お金が自然よりも大きなものではないということを理解することが出来ない。
お金に対する信仰が、自然に対する信仰を超えてしまうと、自然環境からの搾取(さくしゅ)が始まり、自然環境を破壊してしまうのである。

2020年5月30日土曜日

追憶 2792

人類は、増長し、大地を征服(せいふく)した。
そして、海や空も同じようにした。
以前は存在した自然に対する畏怖(いふ)は消え去り、自分達が最も優れた存在だと考え、自分達が作り出したお金を信仰(しんこう)するようになったのである。
多くの人は、金のためなら何でもする。
金のためなら、魂さえも売り渡すのである。
自然に対する信仰の消失は、魂の消失であるだろう。
人類は、金のために魂と自然に対する信仰を手放してしまったのである。

2020年5月29日金曜日

追憶 2791

物をお金に変換することによって、大量の作物を倉庫にしまっておく必要がなくなった。
作物をお金に変換することによって、腐ることや、虫や獣に荒らされることもなく、価値の貯蓄(ちょちく)が可能になった。
価値を貯蓄することによって生活は安定し、生産量を増やすことに成功した。
お金は工業化を生み出し、大量生産が可能になった。
それは、生活を豊かにし、人口は爆発的に増えることとなった。

2020年5月28日木曜日

追憶 2790

自然は、人の抱える欲望のすべてを満たしてくれる。
しかしながら、人の欲望には限りがない。
必要以上に欲するのが人間の弱さであるだろう。
資本主義は、お金という安定した価値感を生み出した。
お金は基本的には腐ることがなく、価値が無くなるまでは、半永久的に保存しておくことが出来る。
そのため、人の欲は不安を煽(あお)り、貯蓄(ちょちく)することを勧(すす)めた。
貯蓄の安心感を得た人の心は、より大きな安心感を求めて、より多くのお金や物を貯蓄するように努めるようになった。



2020年5月27日水曜日

追憶 2789

自然環境のキャパシティを超えた搾取(さくしゅ)は、自然環境の破壊を引き起こすのは明らかである。
客人が家主を軽んじて、横柄(おうへい)に振る舞えば、家主や家族が怒りの声を上げて、客人を懲(こ)らしめて追い返すであろう。
わたし達は、今のところ、地球を離れて生存することが出来ない。
自然環境を破壊することは、自分の家や生活を破壊するということである。
住んでいるのがお菓子の家だからといって、食欲に任せて家を食べていれば、生活は成り立たなくなってしまうのである。

2020年5月26日火曜日

追憶 2788

客人は客人らしく振る舞わなければならない。
客人が家主のように振る舞えば、おかしなことになってしまうのである。
残念ながら、今に始まったことではないが、人類は居直り強盗のようなものであるだろう。
自然が牙を向けば、それに対抗して自然を制御しようと努める。
それが悪いとは言えないだろうが、自然災害との争いによって得られるのは、自然環境の破壊という不毛地帯だけである。

2020年5月25日月曜日

追憶 2787

人類は、自然環境を破壊することも、手助けすることも許された客人であるだろう。
地球よりも遥かに進化した星を故郷に持つ生命体であると思える。
わたし達は、自らの選択によって自然環境を変えることが出来るのだ。
力を持っている者には、バランスを司(つかさど)るという役割がある。
自然界に属する生物ならば、無意識にバランスを取ることが出来るだろう。
しかしながら、人間は自然界には属していないために、意識的にバランスを取る必要がある。

2020年5月24日日曜日

追憶 2786

猿が遊びで命を奪うことがあるかどうかは分からないが、人間と比べて、その割合は極端に少ないであろう。
ただし、人間は邪悪を持っているが、その反面、慈愛(じあい)も持っている。
邪悪にしても慈愛にしても、他の生物に比べて明らかに大きいのである。
他の生物に比べたら、人間の慈愛は余りにも大きく、自然環境では助かることのない命であっても救う力を持っている。
死を延長することが正しいかどうかは分からないが、人間は、他の生物が持つことを許されていない死を遠ざける程の慈愛を持っているのである。

2020年5月23日土曜日

追憶 2785

猿は自然環境に順応し、自然環境の一部として立派に役割りを果たしている。
猿は自然に従(したが)っているのである。
猿が環境を破壊することはないだろうし、恐らくは、環境を破壊しようなどとは思ったこともないだろう。
人間は、猿や他の生物に比べて明らかに邪悪である。
わたしは、幼い頃に友人達と共にイモリや蛙(かえる)やバッタなどを捕まえては、遊びでその命を奪っていた。
人間は、幼くして自然には従わない立場にあるのである。

2020年5月22日金曜日

追憶 2784

言い方を変えれば、人類は客のようなものである。
わたし達は地球という他所(よそ)の星で暮らしているのではないかと思える。
人類の故郷は、より重力が弱く、太陽光が優しく、気温が20℃前後で安定し、外敵のいない?星なのではないだろうか?
生物は、環境によって生まれる。
生物が進化するかどうかは分からないが、恐らく人間は、地球史に登場して以来進化してはいないだろう。
恐らくは、人間は初めから人間である。
個人的には、人間が猿から進化したとは考えられない。
似てはいるが、恐らくは、別物であるだろう。

2020年5月21日木曜日

追憶 2783

人類だけが、自然環境に従わない傲慢(ごうまん)さを抱いている。
これは、人類がこの星の出身ではないことを示唆(しさ)しているだろう。
体温は低いし、そのため簡単に病に犯される。
厚い皮膚も毛皮も無い。
動物のように強靭(きょうじん)な筋力も、牙も爪も無い。
地球上での人類は、明らかに不自然な存在なのだ。
人類は、自然環境への侵入者(しんにゅうしゃ)のようなものであろう。

2020年5月20日水曜日

追憶 2782

人間は、地球上で最も大きく強い存在である。
人類によって、大抵の生物は影響を受けている。
人類が、その他の生物を支配しているのだ。
基本的には、人類がその他の生物に脅(おびや)かされることはないだろう。
人類の天敵というものは、基本的には存在しないのである。
そのため、人間が最も大きく強い存在であるといえるだろう。
人類は、地形を変える程の力を持っている。
他の生物にはそのような力は与えられていないのである。



2020年5月19日火曜日

追憶 2781

強く大きなものが傲慢(ごうまん)に振る舞えば、全体のバランスを崩してしまう。
強く大きなものは、強く大きい程に謙虚(けんきょ)に振る舞わなければならないのである。
足場を崩すような振る舞いは、やがては自分の首を絞めることになるだろう。
強く大きなものは、環境を浄化することが出来ない。
強く大きなものが生存するためには、小さく弱いものの助けが必要なのである。

2020年5月18日月曜日

追憶 2780

小さな水槽(すいそう)の中では、水質の悪化は水槽の破滅を意味する。
汚れた水の中では、生き物は生きていくことが出来ないのだ。
残念ながら、(個体として)大きな生き物や強い生き物には、水質を改善する力は無い。
水質を改善することが出来るのは、(個体として)小さい生き物や弱い生き物なのである。
植物や草食の生き物、微生物やバクテリアなどの小さくて弱い生き物の力によって水は浄化され、水質は安定する。



2020年5月17日日曜日

追憶 2779

どちらにしても、この地球では、自然環境と人の分際(ぶんざい)というキャパシティーを超えることは、何かしらの問題となり、結果としては破滅(はめつ)を導く。
わたし達は、自然環境と分際という二つのキャパシティーを超えないように生活しなければならないだろう。
自然災害や人生における様々な問題は、わたし達が二つのキャパシティーを超えないような制限となってくれているように思える。
自然災害や人生における様々な問題は、わたし達に対する警告であるように思えるのだ。
地球を一つの水槽(すいそう)として、わたし達をその中に共存する生き物と考えれば分かり易いのではないだろうか?
餌(えさ)のやり過ぎや、生き物が多過ぎることや、水草やバクテリアなどの浄化作用のある環境を破壊することは、簡単に水質の悪化を招く。

2020年5月16日土曜日

追憶 2778

世界中の巨石建造物が残された理由は分からないが、かつてはあのようなものを建設する程の文明が栄えていたのである。
しかしながら、その文明も結果としては滅びてしまった。
そして、何も知らない今の人類と文明が生じたのである。
あのように巨大な、どう考えても地球上で重要な建造物のことを何も知らないということは、あれ等を建造したのは、恐らくは全く別の人類?か文明であるだろう。
文明が栄えると、恐らくは、自然環境のキャパシティを超えてしまう。
自然環境のキャパシティを超えない技術を達成していたのであれば、傲慢(ごうまん)が育ち過ぎて互いに争い、滅びてしまったのであろう。




2020年5月15日金曜日

追憶 2777

現在の地球には、お金に躓(つまず)く段階の人が多いのだろう。
お金に躓く段階の人は、目の前の快楽や欲望や苦悩や憤怒(ふんど)や悲嘆(ひたん)などにも躓く。
人の信仰(しんこう)の中心にはお金(経済)が存在し、金のために日夜争い続け、自然を破壊し続けている。
日本には前方後円墳が存在し、エジプトやメキシコなど世界中には巨大なピラミッドが多数存在する。
ピラミッドを誰が作ったのかは分からないが、そこにはかつてわたし達には想像もつかないような優れた文明が存在したことは事実であるだろう。

2020年5月14日木曜日

追憶 2776

人は、同じ状況に存在するが、学んでいることはそれぞれに異なっている。
同じ状況にあっても、経験はそれぞれのものなのだ。
同じ状況にあっても、小学生と大学生では視点が異なる。
同じものを見ても違うものに見えるし、同じものに触れても違う認識を得るということを理解しなければならない。
学びは、それぞれのものなのである。
人は、同じ状況にあるが、そこでの学びの階層は異なっているということを理解する必要があるだろう。

2020年5月13日水曜日

追憶 2775

地球には、いくつかの意識の階層が存在する。
人は、それぞれに相応(ふさわ)しい階層に所属し、それぞれに相応しい課題を学んでいる。
しかしながら、意識の階層は、意識のレベルで隔(へだ)たっている。
物質のレベルでは、その隔たりを認識することは難しい。
それは、同じ教室で、小学生と大学生がそれぞれの課題を学んでいると考えれば良いであろう。
物質的には同じでも、意識的には異なるのである。

2020年5月12日火曜日

追憶 2774

すべての人は、魂(意識)の課題を以(もっ)て生まれる。
すべての人は、段階に分けられた魂の課題をこなさなければならない。
小学生は小学校の課題を学び、大学生は大学の課題を学ぶことが相応しいのだ。
小学生が大学の課題を学ぶことは難しい。
それは、理解に至(いた)らないからである。
大学生が小学校の課題を学ぶことも難しい。
それは、新たな発見や気付きが少なく、退屈に陥(おちい)ってしまうからだ。
そのため、大学生が小学校の課題を学ぶことは難しいのである。

2020年5月11日月曜日

追憶 2773

人生の目的は、欲を無くすことなのかも知れない。
地球で許(ゆる)されたことをすべて経験すれば、欲は消滅するだろう。
欲が少ない程に経験を積んでいるということである。
欲深い人が持て囃(はや)される世の中ではあるが、それは、世の中が物質主義や資本主義によって成り立っているからであろう。
そのような成長段階の魂が多いのが、現状の地球なのではないだろうか?
本来ならば、褒(ほ)められる人の生き方とは、魂を研磨(けんま)する生き方のことである。
それは、物質主義や資本主義とは真逆の生き方であると理解しなければならないだろう。

2020年5月10日日曜日

追憶 2772

満たされるためには、手に入れなければならない。
空腹の苦しみは、食べることによって満たされる。
欲求は、経験によって弱まるのだ。
例えば、敷居の高い料亭やレストランで食事をしたいという欲求があるとすれば、実際に敷居の高い料亭やレストランで食事をするという経験をしてみることである。
お金が無いと言い訳する人がいるだろうが、他の娯楽に使うお金があるのだから、それを食事代に回せば良いだけである。
一度の経験によって、欲求が満たされる場合もあるだろう。
幾度も経験しなければ欲求が満たされない場合もあるかも知れない。
しかしながら、経験によって欲求は確実に弱まっていくのである。

2020年5月9日土曜日

追憶 2771

大きな家に住みたい、豪華な家具に囲まれて暮らしたい、高い自動車に乗りたい、ブランド物の高級な服やアクセサリーを身に付けたい、高級食材を食べたいし、敷居の高い料亭やレストランで食事がしたい、好きなものを好きな時に好きなだけ手に入れたい、他人に羨(うらや)ましく思われたい…
挙げれば切りが無いが、人の欲というものは人生のすべてに反映されるものなのである。
しかしながら、すべての欲求は不足への反発に過ぎない。
多くの人は、無い物をねだるという心の性質に従(したが)っているのである。



2020年5月8日金曜日

追憶 2770

多くの人が、ストレスと共に暮らしている。
基本的に人間というのは無い物ねだりな生き物である。
人の心は、無い物を求めるのである。
それは、人が満たされてはおらず、欲深いからであろう。
資本主義は、人の心を刺激して、欲を掻(か)き立てる。
資本主義は、成長拡大が根本思想であるだろう。
それは、人の心と相性が良いのである。
すべての人は、より良いものが欲しいと思っているし、資本主義は、人の心がより良いと思えるものを提案(ていあん)し、提供(ていきょう)することが出来る。

2020年5月7日木曜日

追憶 2769

すべての人は、人生に対して豊かさを求めている。
本来ならば、豊かさとはそれぞれに異なるものである。
例えば、山奥に住んで自給自足に近い生活を豊かさだと考える人もいれば、都心のタワーマンションに住んで、文明を謳歌(おうか)することを豊かさだと考える人もいる。
人生の豊かさは、人それぞれに異なっているのが自然なのだ。
しかしながら、多くの人は、それぞれの豊かさを追い求めることをしない。
多くの人は、大企業やメディアの提案する豊かさを自分の豊かさだと思い込んでいるのである。

2020年5月6日水曜日

追憶 2768

多くの人は、金に魂(心)を売る。
多くの人は、金で魂(心)を買われるのである。
金で買われた者は、金の奴隷(どれい)と成る。
金の奴隷と成れば、金のために働かなければならないのだ。
主人である金の機嫌を損ねないように、常に金のことで頭がいっぱいになっている。
多くの人は、食べ物を探して地面を嗅(か)ぎながら歩く犬のように、金儲(かねもう)けの匂(にお)いを探し続けている。
金儲けが悪いということではなく、何のためにお金が必要なのか?ということを考えなければならないのである。

2020年5月5日火曜日

追憶 2767

お金を信仰(しんこう)している人達も、命など気にしてはいないだろう。
自然環境や人命よりも、お金の方に価値を見出しているのが現実であるのではないだろうか?
しかしながら、そのことを搾取(さくしゅ)の対象である大多数の人達には悟られないように活動しているのである。
例えば、薬を山程飲んでいる人達は、本当にそれ程の薬が必要なのだろうか?
医療技術が発展したのに、癌(がん)や鬱(うつ)などの病が蔓延(まんえん)しているのは何故なのか?
世の中の仕組み、生活の方法、人の心の在り方が間違っているから、病や様々な問題が蔓延しているのではないだろうか?

2020年5月4日月曜日

追憶 2766

そのため、多くの人は、お金に力があると考えて、それを信仰(しんこう)するようになる。
多くの人は、お金のために生きている。
お金を主人として支えているのだ。
何に信仰を見出しても問題ではない。
人は、自由に信仰すれば良いのである。
しかしながら、信仰が強過ぎれば狂気となってしまう。
例えば、イスラム教を熱心に信仰している人の中には、過激派として戦いの渦中(かちゅう)にいる人達もいる。
アメリカ合衆国という国を熱心に信仰している人も同じである。
彼等は、信仰のために戦い、信仰のために殺し、信仰のために死ぬのである。

2020年5月3日日曜日

追憶 2765

謙虚(けんきょ)なお金持ちはいるだろうか?
謙虚に見えるお金持ちは多いだろう。
金持ちは、謙虚さを“売っている”。
お金持ちの方が、そうでない人達に比べて社会的に貢献(こうけん)している。
それは、この世の中がお金を中心に構成されたものであるからだ。
お金の力は凄い。
現代社会は、お金がなければ機能しないのである。
お金自体には本質的な価値はないが、世の中がお金に価値を与えている以上は、世の中を動かすのはお金の力である。

2020年5月2日土曜日

追憶 2764

お金の使い方を知らない者は、お金に翻弄(ほんろう)されて苦しむ。
宝くじによって一夜にして大金を手にした人が、大金を手にしたにもかかわらずに破産し、大金を手にしたことで却(かえ)って苦しむということがある。
お金の使い方を知らない者がお金を手にしても、それを有効活用することが出来ない。
そこで、富は一部の“賢い”人達に集まることになるが、そこにも問題が生じる。
それは、富を得た人達が、優越感に浸(ひた)ることによって傲慢(ごうまん)に陥(おちい)ってしまうということである。

2020年5月1日金曜日

追憶 2763

金持ちが金持ちであるためには、それを支える多くの貧困層が必要である。
金持ちが金持ちであるためには、富を集める必要があるのだ。
現に、世界の富は一部の人達に集中している。
愚(おろ)かな人達が大金を手にすると、愚かな使い方しかしない。
現代でも経済破綻(けいざいはたん)する国はいくつもある。
扱い切れない富は愚かな人を不幸にするし、全体が崩壊してしまう可能性もあるために、“賢(かしこ)い”人達が管理する方が良いのかも知れない。