このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2022年9月30日金曜日

追憶 3644

その著名人が慈善団体の仕事をしているのは、貧しくて困っている人達のためではない。
もしも、そのような崇高(すうこう)な理念があるのならば、私財を投げ売ってもそうしているはずである。
しかしながら、その著名人は、自分は贅沢な暮らしをしながら、貧困ビジネスをしているのである。

2022年9月29日木曜日

追憶 3643

金を手懐(てなず)けるためには、冷徹(れいてつ)でありながら、冷酷でなければならないのだ。
思いやりを以(もっ)て慈善活動に専念するのであれば、金を得ることなど出来ないのである。
有名な慈善団体の広報の著名人が、絢爛豪華(けんらんごうか)な家具に囲まれた生活をしながら寄付を呼び掛けているのは滑稽(こっけい)である。

2022年9月28日水曜日

追憶 3642

人格者は、世の中のいう成功者にはなれない。
なぜなら、人格者は、奪い合うことも、集めることも、偽善者でもないからである。
金を手懐(てなず)けるためには、人格を育んではならないのだ。
奪い合うことや、集めることや、偽善を躊躇(ちゅうちょ)する者に金は懐(なつ)かない。

2022年9月27日火曜日

追憶 3641

金への信仰心を絶やさずにいれば、金はとどまるだろう。
金を集めることに成功した者に風格は求められない。
金持ちだからといって、人格が備わる訳ではないのである。
寧(むし)ろ、人格を育まない方が良いだろう。
残念ながら、人格を育んでしまうと、金への信仰心は薄れてしまうのである。

2022年9月26日月曜日

追憶 3640

世の中には、成功者と呼ばれる若者もいる。
世の中が認める成功者とは、金を集めることに成功した人のことである。
金を集めることは簡単なことではないが、風格が備わらなくても成功することが出来る。
それは、金は柔軟なものであり、誰にでも懐(なつ)くからである。

2022年9月25日日曜日

追憶 3639

若い魂がどれだけ自分を高く大きく見せようとも、風格には程遠い。
例えば、若者が高価な服装や装飾で身を飾り、偉そうな言葉を吐いたとしても、風格を身に纏(まと)うことは出来ない。
それは、若いからである。
若さと風格を同時に身に付けることは出来ない。
どのように素性の良い樹木であったとしても、若いというだけで風格は得られないのである。

2022年9月24日土曜日

追憶 3638

それは、老木である程に風格が備わるからだ。
残念ながら、若木には風格というものは備わらない。
若木は老木に比べ、根張りも幹も肌も枝振りも樹形も、すべてが貧弱なのである。
地位や名声や財産に執着(しゅうちゃく)する欲深く傲慢(ごうまん)な若い魂(意識)には、残念ながら風格は備わらないのである。

2022年9月23日金曜日

追憶 3637

若者は、老いることを嫌う。
老人の中にも老いることを嫌う人は多い。
しかしながら、魂(意識)の視点から見れば、老いることは喜ぶべきことなのである。
例えば、樹木は老いる程に価値が認められる。
樹木は、若木よりも老木の方が魅力的なのである。

2022年9月22日木曜日

追憶 3636

ただ、若い時には理解することの出来ない価値というものがあるのだ。
それは、様々な経験を積んでからでなければ、理解することが出来ない価値なのである。
若者には理解することが出来ない価値も、老人には理解することが出来る。
それは、老人の特権である。

2022年9月21日水曜日

追憶 3635

そのため、年老いた立派な魂のように見えるだろう。
多くの人は、そのような姿と生き方に憧れる。
若い魂(意識)には、格好良く見えるのである。
しかしながら、魂(意識)の視点で見ると、そのようなものに価値を見出せるのは若いからだと言わざるを得ない。
若いことが悪いということではない。

2022年9月20日火曜日

追憶 3634

多くの若者が、人生の目的や死後のことを気に掛けないように、若い魂(意識)も“神”への信仰を軽んじる。
若い魂には、金への信仰の方が魅力的に思えるのだ。
世の中の地位や名声や財産を喜んでいる人達は、若い魂(意識)なのである。
偉そうにしているから堂々として、貫禄(かんろく)が備わっているように見える。

2022年9月19日月曜日

追憶 3633

“神”の国に入るためには、“神”への信仰心と、清い人生と、徳が必要である。
これ等の条件を満たすことが出来なければ、“神”の国に入ることは出来ない。
若い魂(意識)は、若者のように麓(ふもと)の生活を好む。
そこには、快楽や欲望を満たす贅沢(ぜいたく)で優美な暮らしが期待出来るからだ。

2022年9月18日日曜日

追憶 3632

麓(ふもと)で価値のあるものは、頂(いただき)では価値がない。
金への信仰心がどれだけ大きくても、“神”の国には入れないのである。
金持ちは、天国への切符が金では買えないことを知らない。
どれだけ金を積んでも、天国へは辿り着けないのである。

2022年9月17日土曜日

追憶 3631

価値のないものを大量に持っていたとしても仕方がないのである。
麓(ふもと)で威張(いば)り散らしている人も、頂(いただき)では何も出来ない。
麓では思い通りに生きていた人程、頂では思い通りに出来ないのである。
それは、価値が反転しているからだ。

2022年9月16日金曜日

追憶 3630

どれだけの金を持っていたとしても、頂(いただき)では持ち腐れである。
金への信仰心(しんこうしん)や傲慢(ごうまん)さ、社会的な地位や財産をどれだけ持っていたとしても無駄である。
そのようなものは、頂を支配する理(ことわり)の中では価値のないものなのだ。

2022年9月15日木曜日

追憶 3629

なぜなら、謙虚(けんきょ)でなければ、頂(いただき)に辿り着くことは出来ないからである。
頂に挑戦している時に傲慢(ごうまん)に振る舞うことは命取りであるだろう。
麓(ふもと)ならば金の力によって傲慢に振る舞うことも許される。
しかしながら、頂では、金の力など通用しない。

2022年9月14日水曜日

追憶 3628

“神”を信仰(しんこう)している人は、意識が成長している。
そのような人は、麓(ふもと)の便利な生活を捨てて、頂(いただき)に挑戦しているのである。
頂に挑戦している者が、傲慢(ごうまん)に振る舞うだろうか?
何かに対して真摯(しんし)に向き合っている人は、謙虚(けんきょ)なのである。

2022年9月13日火曜日

追憶 3627

意識が幼い程に傲慢(ごうまん)である。
意識が幼い程に偉そうに振る舞うのだ。
意識が高まれば金などに執着(しゅうちゃく)することはない。
金を持っていても、金に執着しない人はいる。
そのような人は、金を持っていたとしても、“神”を信仰(しんこう)しているのである。

2022年9月12日月曜日

追憶 3626

金に汚い人は、傲慢(ごうまん)である。
金に汚い人は、偉そうに振る舞っている。
幼い子どもが我儘(わがまま)であることは仕方のないことだろう。
なぜなら、幼いからこそ傲慢であり、偉そうに振る舞ってしまうのである。
それは、仕方のないことなのだ。

2022年9月11日日曜日

追憶 3625

成長した暁(あかつき)には、金という幼い子どもの玩具(がんぐ)を手放さなければならないのである。
多くの人は、幾つになっても金への執着(しゅうちゃく)が激しい。
世の中には、金に汚い人が多いのである。
それは、それだけ幼い意識の段階を生きている人が多いことを意味しているのである。

2022年9月10日土曜日

追憶 3624

そのため、大抵の人が金を通じて学んでいる。
しかしながら、大抵の人が金を通じて学んでいるからといって、金が良いものであるとは言えない。
なぜなら、金は幼い子どもの玩具(がんぐ)であるからだ。
わたし達は、いつまでも幼い子どもの玩具で遊んでいてはならないのである。

2022年9月9日金曜日

追憶 3623

“神”は、人には金が必要だとして与えたのである。
それは、金がなければ学びが足りなかったからであろう。
金は、“神”から見ると幼い子どもの玩具(がんぐ)である。
幼い子どもである人間は、金がなければ学びを得ることが出来ないのだ。

2022年9月8日木曜日

追憶 3622

子どもは、親には理解することが出来ないものに魅力や価値を感じる。
親は、子どもが感じる魅力や価値に対して、魅力や価値を感じることはないだろう。
それは、幼稚(ようち)に思えるからである。
“神”は金を幼稚な仕組みだと思っているかも知れない。
なぜなら、“神”には金など必要ないからだ。

2022年9月7日水曜日

追憶 3621

親が子どもに作った玩具(がんぐ)を欲しがるだろうか?
残念ながら、親が子ども用に作った玩具を欲しがることはないだろう。
それが普通である。
なぜなら、親である自分には、その魅力を理解することが出来ないからだ。

2022年9月6日火曜日

追憶 3620

目に見えない存在が金を必要としないことは誰でも分かることだ。
しかしながら、偶像を見せられるとその判断が鈍(にぶ)るのである。
残念ながら、“神”は金を必要とはしない。
なぜなら、金は人間にとって必要な制度として作ったものであるからだ。

2022年9月5日月曜日

追憶 3619

「神様は皆の心の中にいて、無償(むしょう)で助けてくれていますよ」と言えば、金を出す人はいないだろう。
偶像を設置することで“神”を具体化(物質的な存在に蔑(おとし)める)する。
物質には物質ということである。
「神様はこのような形でここいにいますよ。救われるためにはお布施や物を買わなければなりません」と言えば、お金を出す人はいるのである。

2022年9月4日日曜日

追憶 3618

発注した宗教団体も、発注された製造者も、金のために像を作る。
金を信仰(しんこう)している宗教には、必ず偶像が存在しているのだ。
それは、木や鉄や石で作られた像かも知れないし、人間を偶像にしているかも知らない。
偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)をするのは、金を集め易いからである。

2022年9月3日土曜日

追憶 3617

それは、価値のないものに価値を見い出そうとした結果である。
始まりが歪めば途中も歪み、最後まで歪むのである。
木や石や鉄から作られた像に何の価値があるのだろうか?
それは、人が金を得るために作り出した像なのである。

2022年9月2日金曜日

追憶 3616

人間は、価値のないものに価値を見出すのが好きである。
例えば、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)である。
現在の宗教は、金を信仰(しんこう)する集団である。
“神”を信仰している宗教など存在しないだろう。
金を信仰するために、偶像を崇拝することになる。

2022年9月1日木曜日

追憶 3615

もしも金の方が価値が高いのであれば、交換することはないだろう。
金で買えるものは、金以上の価値がある。
そのことを覚えておかなければならない。
金を信仰(しんこう)する人達は、金に価値があると信じている。
それは、金に価値があると思い込まされたからである。