このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2022年7月31日日曜日

追憶 3583

結局、二発の原爆を日本に落として武士道をへし折り、逆らう者がいなくなって“一番”を取った“彼等"の統治によって大戦は終わったが、世界には大きな損害が与えられた。
しかしながら、多くの人は、それを平和と信じて喜んだ。
そして、多くの人には余り馴染(なじ)みのなかった経済と金という新たな神が与えられ、多くの人はそれを信仰した。

2022年7月30日土曜日

追憶 3582

彼等は黒人の国を襲い、すべてを奪った。
遊びで彼等をハンティングしたり、奴隷(どれい)にして売り捌(さば)いた。
それは、彼等が有色人種を人と思っていなかったからであるだろう。
その思想が、後の大戦に繋がっていくのである。
“一番”を取るために内輪で争ったせいで、人類は立ち行かなくなる可能性もあったのだ。

2022年7月29日金曜日

追憶 3581

生態系を三角形と考えている人は、悪魔を敵と見做(みな)して争う。
人間は、自分達の生活や金儲けに都合の悪い生き物を絶滅させた過去がある。
強欲な白人達は、人種までも絶滅させたのである。
それは、“一番”を取るためである。
彼等は、人間同士でさえ内輪で争ったのである。

2022年7月28日木曜日

追憶 3580

悪魔は、天使と同じように理(ことわり)に従(したが)っている。
悪魔という存在は、自然である。
悪魔は、風や雨や動植物と何ら変わりがない。
悪魔は、純粋な存在なのである。
悪魔の性質はネガティブであり、災いである。
思考や感情や都合に捕らわれて生きる人間には、悪魔の性質を悪いものだと感じてしまうのだ。

2022年7月27日水曜日

追憶 3579

宗教は、人間よりも悪魔の方が下劣(げれつ)であるかのように教える。
わたしは、過去に何度も悪魔に会ったことがあるが、彼等には悪意や利己的な企(たくら)みというものが無かった。
しかしながら、人間はこれ等を多く抱えている。

2022年7月26日火曜日

追憶 3578

傲慢(ごうまん)や強欲に満ちた愚かな人間は、悪魔よりも下劣(げれつ)である。
悪魔は、決して“神”には逆らわない。
なぜなら、彼等には美学があるからだ。
悪魔が滅びないのは、天使と協力して“神”の世界を築いているからである。
天使と悪魔が敵対しているように教えたのは、宗教である。
宗教というものは、悪魔よりも下劣な愚かな人間によって作られたものなのである。

2022年7月25日月曜日

追憶 3577

同じ世界の住人が争うのであれば、その世界は滅びてしまうのである。
ファリサイ派の指導者たちは、自分達の小さな自尊心や地位や名声や財産のためにイエスを殺そうと企(たくら)んでいた。
彼等は、イエスが悪霊の頭であるベルゼブルの力で悪霊を追い出していると主張したが、彼等は、悪魔ですらしない内輪で争うという愚行(ぐこう)を実行しているのであった。

2022年7月24日日曜日

追憶 3576

世界を存続させるためには、協力しなければならない。
国でも家でも、内輪で争えば滅びてしまうのである。
ファリサイ派の指導者たちは、イエスを殺そうとしていた。
彼等は、イエスと協力する気持ちが無かったのである。
信仰の対象は違っているが、イエスもファリサイ派の指導者たちも、同じ世界の住人である。

2022年7月23日土曜日

追憶 3575

そこでイエスは彼等に言った。
“どうして悪霊が悪霊を追い出せよう。内輪で争えば、その国は成り立たない。内輪で争えば、その家は成り立たないのである。同じように悪霊が内輪もめして争えば、立ち行かず滅びてしまう。”
この言葉は、イエスが悪霊の力で悪霊を追い出していないことの証である。

2022年7月22日金曜日

追憶 3574

それは、“神”ではなく、富を信仰(しんこう)しているからである。
富を信仰しているのだから、彼等の行動は当たり前のことである。
イエスには、ファリサイ派の指導者たちの信仰の対象が、“神”ではなく富であることを知っていたのだ。
だから、彼等が自分を悪霊の仲間だと非難する気持ちが分かるのである。

2022年7月21日木曜日

追憶 3573

ファリサイ派の指導者たちは、自分たちの保身のことしか考えていない。
それは、今日(こんにち)の権力者と何も変わらないことである。
ファリサイ派の指導者たちは、信者のことや教義のことやキリストのことなどどうでも良いのである。
彼等の頭や心の中を埋め尽くしているのは、自分の地位や名声や財産のことである。

2022年7月20日水曜日

追憶 3572

イエスには、ファリサイ派の指導者たちの企(たくら)みなど手に取るように分かっていただろう。
彼等が何を求め、何を守ろうとしているのか?イエスに分からないはずがないのである。
ファリサイ派の指導者たちは、イエスをキリスト(救世主)とは認めたくないのだ。
なぜなら、イエスをキリストと認めてしまえば、自分たちの地位や名声や財産を放棄(ほうき)することだからである。

2022年7月19日火曜日

追憶 3571

それは、イエスを貶(おとし)め、群衆の信仰心と、彼等からの尊敬を取り戻すためであった。
ファリサイ派の人たちは、相手を下げることで自分を上げるという今日(こんにち)の政治家も好んで使っている情け無い手法を用いたのである。
愚者(ぐしゃ)の言動は、2000年前から何ら変わっていないということである。

2022年7月18日月曜日

追憶 3570

それは、イエスが悪霊を追い出していたからである。
驚いた群衆は、悪霊を追い出すイエスのことを、ダビデの子だと言った。
それは、敬意を込めた言葉であるだろう。
すると、それを聞いてまずいと思ったファリサイ派の人たちが、イエスは悪魔の手下だと声を上げたのである。
つまりは、「悪霊の頭、ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言ったのである。

2022年7月17日日曜日

追憶 3569

今日(こんにち)まで脈々(みゃくみゃく)と続いてきたのは、円型の生態系である。
互いに協力し、補(おぎな)い合うことがなければ、その生態系が今日まで存続することはなかったのである。

福音書の中で、イエスが悪魔の仲間と疑われる記述がある。
イエスを悪魔の仲間と疑ったのは、ユダヤ教のファリサイ派の人たちである。

2022年7月16日土曜日

追憶 3568

円型のものは、軽い力で押しても転がっていく。
それは、存続するということである。
ピラミッド型のものは、強い力で押してもその場にとどまる。
それは、存続しないということだ。
時代の流れに従(したが)って転がらなければ、存続は出来ない。
ピラミッド型の生態系では、時代の流れに従って転がることが出来ないのである。

2022年7月15日金曜日

追憶 3567

この世界では、何事も円型でなければ存続しないのである。
互いに支え合わなければ存続することはないのだ。
誰かが一番を目指して和を乱せば、誰も一番にはならないのである。
互いに支え合うための和を目指せば、誰もが一番に成る。
それは、力のバランスの取れた和なのである。

2022年7月14日木曜日

追憶 3566

ピラミッド型の生態系では、一番の生き物が滅びれば、二番の生き物が一番になる。
その繰り返しである。
それでは、生態系自体が存続しない。
互いに支え合わなければ、生態系は存続しないのである。
そのため、生態系は円型である。

2022年7月13日水曜日

追憶 3565

傲慢(ごうまん)に力を振り翳(かざ)したとしても、環境に順応することが出来なければ滅びてしまう。
本当の強さとは、生き残る力なのである。
どのように大きくて力の強い生き物も、滅びてしまえば弱いのである。
どのように小さくて力の弱い生き物も、生存すれば強いのである。

2022年7月12日火曜日

追憶 3564

世代交代は、生物の変化において最も大きなものである。
世代交代の回数の多さが、小さくて弱い生き物に与えられた特権であるだろう。
それは、変化を促(うなが)し、どのような環境にも対応することが出来る力なのである。
環境に順応することが出来なければ、どのように大きくて力の強い生き物も滅びてしまうのである。

2022年7月11日月曜日

追憶 3563

弱い立場の生き物は、変わらなければ生き残れない。
そのままでいるなら、強い生き物に蹂躙(じゅうりん)されるだけである。
弱い立場の生き物は、生存するために変わるのである。
小さくて弱い生き物は、大きくて強い生き物よりも寿命が短い。
それは、世代交代を促進(そくしん)する。

2022年7月10日日曜日

追憶 3562

強さとは、傲慢(ごうまん)のことである。
強い生き物は傍若無人(ぼうじゃくぶじん)に振る舞う。
強いから、他の弱い生き物に遠慮(えんりょ)する必要がない。
強ければ、変わらなくて良いのだ。
それは、変わらなくても上手くいっているからである。
変わらなければならないのは、いつも弱い立場のものである。

2022年7月9日土曜日

追憶 3561

ピラミッド型の生態系で生き残るのは、残念ながら、力の強い生き物ではない。
ピラミッド型の生態系で生き残るのは、数が多く、変化に対応することが出来る生き物であるだろう。
残念ながら、個の力の強い生き物から絶滅の危機に直面する。
それは、強いからである。
強いから、数が少ない。
そして、強いから変化に対応することが出来ないのである。

2022年7月8日金曜日

追憶 3560

自然界で“一番”を取ろうとするのは不自然な行為である。
なぜなら、自分以外の生き物が繁栄していなければ、自分自身の生存も危ぶまれるからである。
自分自身が“一番”になるためにピラミッド型の生態系を築けば、一番上は絶滅の危機に直面してしまうのだ。

2022年7月7日木曜日

追憶 3559

それが自然界の摂理(せつり)である。
生態系という全体を壊さないためには、個のパワーバランスを均等に保たなければならない。
個の力の強い生き物は少なく、個の力の弱い生き物は多いのが自然である。
個の力の強い生き物が、個の力の弱い生き物を全滅させると、生態系は持続しない。
それでは、生態系で“一番”を得ても仕方のないことなのである。

2022年7月6日水曜日

追憶 3558

欲深く争い、“一番”を手に入れたとしても仕方のないことである。
自然界のパワーバランスは、均等に保たれている。
個体として力の強い生き物は、数による制限がかけられる。
個体として力の強い生き物は数が少ない。
そして、個体として力の弱い生き物は、パワーバランスが均等に保たれるように数が与えられる。

2022年7月5日火曜日

追憶 3557

しかしながら、思考や心を自分だと思い込んで従(したが)っていると、生存競争に没入してしまう。
それは、“一番”に成るための争いである。
思考や心は、一番に成るために働いているのである。
大抵の人は、思考や心に従って生きている。
そのため、誰かと争っている。
思考や心に従っているから、欲深くなってしまうのである。

2022年7月4日月曜日

追憶 3556

しかしながら、それは錯覚(さっかく)である。
オタマジャクシは、生まれた時から水の中にいるから、水を自分だと思い込んでいるに過ぎない。
それは、わたし達が思考や心を自分と思い込んでいることと同じである。
わたし達は、恐らくは生まれた時(生まれる前からかも知らないが)から思考や心と共にいる。
彼等は、わたし達の生存率を上げるために働いている。
それは、とても有り難いことである。

2022年7月3日日曜日

追憶 3555

ニホンアマガエルは、水中に卵を産む。
孵化(ふか)すると、オタマジャクシは直ちに水の中である。
本来ならば、オタマジャクシと水との間には卵という薄い壁があり、両者を隔(へだ)てている。
卵と水は別物である。
しかしながら、オタマジャクシは水の中でなければ生きられない。
オタマジャクシにとって、水は命であり、自分なのである。

2022年7月2日土曜日

追憶 3554

多くの人は、自分が思考や心に殺されることを知らない。
なぜなら、思考や心が自分だと思い込んでいるからである。
本来ならば、自分という存在と、思考や心という存在は別の存在である。
なぜなら、思考や心というものは、いつでも勝手に働いているからだ。
残念ながら、生まれてこの方一度も思考や心を思い通りにしたことはない。

2022年7月1日金曜日

追憶 3553

わたし達は、蛙のように思考や心の鍋の中に閉じ込められている。
年齢を重ねるにつれて、思考や心の影響力は大きなものとなる。
それは、水が熱湯に変化して蛙を脅(おびや)かすように、思考や心が熱を持って自分という存在を脅かすのである。