このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2021年12月31日金曜日

追憶 3371

それは、ソロモン王の遺した伝道者の書を読めば分かることである。
ソロモン王は、知恵と富と権力など、人の欲するもののすべてを手に入れた人物である。
彼以上に、富に愛された人物もいないだろう。
ソロモン王は、富の極みに到達したが、彼はそれを空しいと語った。
ソロモン王は、“神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってのすべてである”と遺したのである。

2021年12月30日木曜日

追憶 3370

しかしながら、この世界は、すべての人が意識の山を登るように仕組まれている。
富を信仰(しんこう)する人も、富を信仰し続けることは出来ない。
なぜなら、富には限界があるからだ。
欲望に対して忠実に生きて、有り余る富を手に入れたとしても、富が貯まっていくだけのことである。
ある時からは、富が嵩張(かさば)っていくのを眺めるだけなのである。

2021年12月29日水曜日

追憶 3369

命は大切なものである。
しかしながら、“神”の意思よりは容易(たやす)いものである。
それは、“神”が愛を以(もっ)て指示されるからだ。
愛と命はどちらに価値があるだろう?
答えは、信仰(しんこう)の対象によって変わる。
富を信仰している者には、命の方が価値がある。
“神”を信仰している者には、愛の方が価値があるのだ。

2021年12月28日火曜日

追憶 3368

富を信仰(しんこう)している者は、この世の富に執着(しゅうちゃく)する。
金の為に自ら命を絶つ者もいるが、それは少数派の過激派である。
大抵の場合、この世の富に執着するために、命にも執着する。
それは、命がなければ富を蓄(たくわ)えていても意味がないからだ。

2021年12月27日月曜日

追憶 3367

ニコデモが最も理解し難かったのは、イエスの命に対する執着(しゅうちゃく)の弱さであろう。
イエスは、自ら処刑されることを望んでいたのである。
それは、宿命であったからだ。
イエスも、処刑されることには抵抗があったに違いないが、“神”への信仰(しんこう)が自らの命よりも宿命を優先させたのであろう。

2021年12月26日日曜日

追憶 3366

ニコデモがイエスの言葉の意味を理解することが出来ないのは、イエスからかけ離れているからである。
彼がイエスの言葉を理解するためには、何度も生まれ変わる必要がある。
恐らく彼は、イエスの言動に対して何度もショックを受けたのだろう。
地位や名誉や財産に執着(しゅうちゃく)しているニコデモにとっては、イエスの言動が簡単には受け入れられないのである。
何度もショックを受けることで何度も生まれ変わり、彼は少しずつイエスの言葉に理解を深めたのではないだろうか?

2021年12月25日土曜日

追憶 3365

金持ちが地位や名誉や財産に執着(しゅうちゃく)していないということには無理がある。
なぜなら、執着していなければ、そのような立場にないからだ。
ニコデモは、富を信仰(しんこう)していた。
そのため、“神”を信仰しているイエスの言葉の意味が分からないのである。
それは、山頂からの景色と、麓(ふもと)からの景色は全く違うものだからだ。

2021年12月24日金曜日

追憶 3364

ニコデモは、イエスの言葉の意味が分からなかった。
彼は、イエスが抵抗することなく処刑を受け入れる姿を見て、更なるショックを受けたはずである。
なぜなら、彼はイエス程には受け入れられなかったはずだからだ。
恐らく、ニコデモは地位や名誉や財産に執着(しゅうちゃく)していただろう。
なぜなら、そのようなもの(富)に執着していなければ、そのような立場にはないからである。

2021年12月23日木曜日

追憶 3363

それは、彼の現状の信仰(しんこう)体系の死であり、新たな信仰体系の誕生を促(うなが)すショックであったのだろう。
後にニコデモは、イエスを弁護し、処刑の後では埋葬(まいそう)を手伝っているようだ。
それは、彼の富に対する信仰が死に、“神”に対する信仰が生まれたからではないだろうか?
ニコデモは、新たに生まれたのである。

2021年12月22日水曜日

追憶 3362

そこでイエスは、ニコデモに対して、“あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことが分からないのですか?”と言った。
イエスの言葉を受けたニコデモの反応は記されていないが、ある程度の地位や財産を得ていた彼にとっては、様々な意味でショックを受けるものだったのではないだろうか?

2021年12月21日火曜日

追憶 3361

しかしながら、イエスから得た言葉は、“生まれ変われ”というものであった。
残念ながら、ニコデモにはイエスの言葉の意味が分からなかった。
ニコデモは、生まれ変わりをもう一度、母の胎に入って生まれるという物質的な捉え方をしたのである。
如何(いか)にも、富を信仰(しんこう)する人が考えそうなことである。

2021年12月20日月曜日

追憶 3360

ニコデモは、ある程度の地位や財産を得た時点でイエスに会い、富に対する信仰(しんこう)の違和感に気が付いたのだろう。
ニコデモはイエスに会い、自分が信仰すべきは現状の信仰(富)ではないということに気が付いたのである。
しかしながら、彼は“神”を知らなかったから、イエスに会えば何を信仰するべきか?を教えてもらえると思ったのだろう。

2021年12月19日日曜日

追憶 3359

ニコデモは、イエスに会って、自分が富に仕(つか)えていることを知ったのだろう。
彼は、自分が“神”を信仰(しんこう)していたと思い込んでいたのかも知れない。
イエスとの出会いが、彼に本質的な気付きを与えたのだろう。
そのため、イエスは、ニコデモに対して現状の信仰を手放し、新たな信仰に目覚めるように言ったのだ。
それは、現状の信仰の死と、新たな信仰の誕生を促(うなが)す言葉なのである。

2021年12月18日土曜日

追憶 3358

“新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない”とは、ニコデモが人目を忍んでイエスに会いに来て言われた言葉である。
ニコデモは、イエスの言葉や振る舞いを見て、自分自身やその立場に疑問を持ったのだろう。
そして、イエスに会って、その疑問の真意を確かめようとしたのではないだろうか?
イエスは彼の抱えるものを理解していたために、“新たに生まれよ”と言ったのだろう。
これは、ニコデモの抱えるものに対する答えである。

2021年12月17日金曜日

追憶 3357

滅びなければ、生まれることは出来ない。
すべては輪廻(りんね)の中に存在しているのである。
残念ながら、滅びなければ変わることが出来ない。
イエスは福音書の中で、ニコデモというファリサイ派の議員に対して、“新たに生まれなければ、神の国を見ることは出来ない”と言っている。
ニコデモは、地位や名誉や財産を所有している所謂(いわゆる)エリートである。
彼は、イエスとは対立する立場にある人物である。

2021年12月16日木曜日

追憶 3356

経済的な発展の定義を変えるのであれば、発展することは出来るだろう。
しかしながら、それも現在の経済的な発展の定義が滅びた後のことである。
どちらにしても、生まれたものは死ななければならない。
それは変わらない理(ことわり)である。
生じたものは発展し、やがては滅びなければならないのだ。

2021年12月15日水曜日

追憶 3355

先進国と呼ばれる大国は、経済的な発展と自然環境の保護という矛盾(むじゅん)を目標に掲げている。
経済的な発展と自然環境の保護を両立することは難しいだろう。
なぜなら、経済的な発展は、自然環境の資源を投入しなければ達成することが出来ないからだ。
恐らく、自然環境を地球のキャパシティを超えて発展させることは出来ない。
そのため、経済的な発展にも限界が存在するのである。

2021年12月14日火曜日

追憶 3354

どのような商売にも限界がある。
国や文明さえ滅亡するのに、どうして商売が継続するのだろうか?
どのような商売も、発展を続ければ、資源を取り尽くして終わりである。
継続するためには、資源を取り尽くさないことである。
そのためには、商売の抑制(よくせい)しか方法はないだろう。
経済的な発展を目指すのであれば、資源(豊かな自然環境)は必ず失われるのである。

2021年12月13日月曜日

追憶 3353

しかしながら、この世には限界というものが存在する。
例えば、経済的な成長を無限に続けることは出来ない。
なぜなら、経済を成り立たせるためには、地球の資源が必要であるからだ。
地球の資源が枯渇(こかつ)したら、経済は成り立たない。
経済は、自然環境が成り立たせているのである。

2021年12月12日日曜日

追憶 3352

富を信仰(しんこう)する人には、この理(ことわり)を理解することが出来ない。
なぜなら、富の教えは、無限の向上や増大であるからだ。
富を信仰する人は、限界が存在しないと信じている。
無限に向上し、増大することが出来ると信じているのである。

2021年12月11日土曜日

追憶 3351

すべては、栄枯盛衰(えいこせいすい)を繰り返す。
それは、生命の一生と同じことである。
生まれてからは成長を続け、成長の限界に達した後は衰退(すいたい)に向かい、やがては死に辿り着く。
規模が違うだけで、すべては同じ道を辿るのである。
どれだけ努めても、この世界では、成長し続け、栄え続けることは出来ないのだ。

2021年12月10日金曜日

追憶 3350

しかしながら、富の教えに従(したが)った向上や増大を続けることは出来ない。
向上や増大を続けることが出来るのであれば、巨大な文明や国が滅びることはなかったのである。
この世には、多くの文明や国が栄えたが、すべて滅んでしまった。
それは、この世では向上や増大を続けることが出来ないからである。

2021年12月9日木曜日

追憶 3349

そのため、富を信仰(しんこう)する人は、向上や増大を追求して、より大きな価値や富を手に入れようとする。
それは、それが正しい道であり、満足や幸せを得る唯一の方法だと信じているからである。
それとは逆に、停滞や後退や減少は間違った道であり、不満や不幸を得ることになると信じているのだ。
富への信仰は、停滞や後退や減少を許さないのである。

2021年12月8日水曜日

追憶 3348

多くの人は、大きなものに満足や幸せを感じるように教えられている。
例えば、小さな富よりも大きな富の方が価値があると教わるのである。
富を信仰(しんこう)するための教えは、向上や増大である。
富を信仰する教えは、より大きな価値を褒(ほ)める。
より大きな富に価値を見出すことが美徳とされるのである。

2021年12月7日火曜日

追憶 3347

多くの人は、麓(ふもと)の暮らしが最高のものだと信じている。
多くの人は、安定していて、尚且(なおか)つ贅沢(ぜいたく)な暮らしに憧れる。
多くの人は、それを幸せだと信じているために、それを手放すことが出来ない。
麓にいると、安定していた方が良いと思えるし、贅沢な暮らしの方が良いように思える。
それは、そのように仕組まれているからだろう。

2021年12月6日月曜日

追憶 3346

意識の山を登るためには、現状を手放さなければならない。
そして、苦しみを受け入れなければならないのである。
現状や安心に執着している内は、多くの人と同じように恐怖を背負い、偽りの幸福を喜ぶ。
多くの人は、“信じる者は救われる”という言葉に希望を見出すのである。

2021年12月5日日曜日

追憶 3345

そして、恐怖が重たくて、意識の山を登ることが出来ないのである。
重たい荷物を背負っていては、多くの人が、その場にとどまった方が良いのではないかと思ってしまう。
それは、恐怖を抱えているために、手放したり、苦しみを受け入れることが出来ないからだ。

2021年12月4日土曜日

追憶 3344

意識の山の低いところにいる多くの人は、恐怖を動機とする。
多くの人は、恐怖によって動いているのだ。
顧客や信者を得ようとする時に最も簡単な方法は、恐怖を煽(あお)ることである。
地獄に堕ちるとか、神に見放されるとか、先祖が祟(たた)っているとか、運気や方角や時期が悪いとか、このままでは大変なことになるとか、方法は様々である。
多くの人は、恐怖を煽る言葉によって、簡単に顧客や信者となる。

2021年12月3日金曜日

追憶 3343

それは、手放さないからである。
正確には、手放せないのだろう。
信じていることを手放すことは至難(しなん)である。
しかも、宗教は、信じる気持ちが強化されるように仕組まれている。
それは、富に対する信仰(しんこう)や、無知なカウンセラーや占い師や霊能者でも同じことである。
意識の山の低いところにいる人達は、顧客(信者)を獲得すること、集団を大きくすることを目指す。

2021年12月2日木曜日

追憶 3342

しかしながら、宗教に携わっている人達は、宗教(の神や救世主)によって統一が実現すると思い込んでいる。
それぞれの宗教は、形が違うにしても、それぞれが統一するために争っている。
わたしには、彼等が統一したいのか分離したいのか分からない。
統一するために争うというのは矛盾している。
しかしながら、彼等はそれ程の矛盾に何千年も気が付くことがないのだ。

2021年12月1日水曜日

追憶 3341

わたし達が調和するためには、山頂を目指さなければならないだろう。
頂(いただき)からの視点を得なければ、“すべては一つ”ということは分からないのである。
麓(ふもと)の整備された道で“神”を教える宗教団体には、“すべては一つ”という理(ことわり)を理解するのは不可能なのである。
それは、彼等が分離の段階に存在しているからだ。
そのため、宗教によって調和することは不可能なのである。