光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年11月29日火曜日
追憶 3677
これは個人的な見解だが、“神”が残酷(ざんこく)な存在であるはずがないし、無意味に人間や動植物を傷付けたり悲しませることはないだろう。
それは、“神”の仕事を見ていると分かることである。
“神”は残酷な存在ではない。
“神”は、すべての経験に対して、意味と価値を潜在(せんざい)させているのである。
2022年11月28日月曜日
追憶 3676
しかしながら、“神”がただ悲惨(ひさん)なことを経験させるだろうか?
年配の女性の心を傷付け、悲しませるためだけに、わたしの知り合いの運転する車にハクビシンを飛び出させ、それをはねて瀕死(ひんし)の状態にさせるだろうか?
“神”は、残酷(ざんこく)な存在なのだろうか?
2022年11月27日日曜日
追憶 3675
特に年配の女性は声を荒げて知り合いに詰(つ)め寄る程である。
彼女はハクビシンが傷付いて生死の境(さかい)を彷徨(さまよ)っていることだけに着目してしまったのであろう。
そこだけを切り取って考えるのであれば、目の前に広がるのは悲惨(ひさん)で救いのない出来事である。
2022年11月26日土曜日
追憶 3674
存在することには何かしらの意味があると考えるのが自然である。
残念ながら、知り合いと年配の女性は、ハクビシンが瀕死(ひんし)の状態に陥(おちい)るという体験に対して前向きな意味を見出すことが出来なかったのだろう。
彼等は、目の前の出来事に対して感情的に対応するしか無かったのである。
2022年11月25日金曜日
追憶 3673
理由があってそのような体験をしていると考えなければならないだろう。
理由を探らなければ、ただただ悲劇を体験しなければならないのである。
人生には、意味のない経験など存在しないだろう。
なぜなら、意味のないことが存在する意味がないからだ。
2022年11月24日木曜日
追憶 3672
テレビや広告が悲劇として扱えば、悲劇としか見えないのである。
しかしながら、実際には、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた子どもには、そこに生まれなければならない訳があるのだ。
たまたまそこに生まれた訳ではない。
2022年11月23日水曜日
追憶 3671
表面的に見るとは、遠くを見ているようなものである。
日本から、遠く離れたアフリカ大陸の恵まれない地域の子どもをテレビや広告越しに見ているようなものである。
残念ながら、そのような見方では、何一つ実情は分からないのだ。
2022年11月22日火曜日
追憶 3670
それは、その体験に関わる人達にとっては重要な学びだったからであるだろう。
もちろん、知り合いから話を聞かなければならなかったわたしにも重要な学びなのである。
表面的に見ると分からない意味と価値も、本質的に見ればそれが分かる。
2022年11月21日月曜日
追憶 3696
人情としては、ハクビシンは命を落とさない方が良かったし、知り合いは車で轢(ひ)かない方が良かった。
年配の女性もそれを目撃しない方が良かったし、心を痛めない方が良かっただろう。
しかしながら、世界(人生や神や運命でも良い)は悲劇を与えたのである。
2022年11月20日日曜日
追憶 3695
遠く離れている程に、幻想は大きく育つ。
それは、実情を知らないからである。
ハクビシンは(恐らく)命を落とさなければならなかったし、知り合いと年配の女性はそれを体験しなければならなかった。
表面的に見れば、誰にとっても悲劇である。
2022年11月19日土曜日
追憶 3694
自分を救うことが出来なければ、家族を救うことは出来ない。
家族を救うことが出来なければ、仲間を救うことは出来ない。
仲間を救うことが出来なければ、知り合いを救うことは出来ない。
知り合いを救うことが出来なければ、同じ地域の人を救うことは出来ない。
同じ地域の人を救うことが出来なければ、日本人を救うことが出来ない。
日本人を救うことが出来なければ、アフリカの恵まれない子どもを救うことは出来ないのである。
2022年11月18日金曜日
追憶 3693
同じ日本人の中でも、同じ地域の人。
同じ地域の中でも、知り合い。
知り合いの中でも、仲間。
仲間の中でも、家族。
家族の中でも、自分。
という具合に、助ける順番を誤ってはならないのである。
2022年11月17日木曜日
追憶 3692
これは極論ではあるが、日本人は日本人を助ければ良いだろう。
それは、日本にも恵まれない人がいるからである。
遠くの見ず知らずの人を助けるよりも先に、関係性の近い人を助けなければならない。
2022年11月16日水曜日
追憶 3691
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれなければ学べないことがある。
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれなければならなかった人が、日本に生まれる必要などない。
日本に生まれなければならなかった人が、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれる必要などないのである。
人は、それぞれにとって必要な学びを得ている。
それで良いのである。
2022年11月15日火曜日
追憶 3690
学びは、愚(おろ)かさによって生じる。
それは、先天的なものもあれば、後天的なものもある。
残念ながら、すべての人間は未熟であり、愚かである。
誰一人として、完全な人間などいない。
すべての人間に学びがあるのだ。
2022年11月14日月曜日
追憶 3689
残念ながら、他には選択肢がなかったのだ。
わたし達は、愚(おろ)かな選択を避けることが出来ない。
それは、愚かな選択から学ばなければならないことがあるからだ。
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた人は、そこで学ばなければならないことがある。
日本に生まれた人は、そこで学ばなければならないことがあるのだ。
2022年11月13日日曜日
追憶 3688
なぜなら、その愚かな選択を必要としているからだ。
ハクビシンが知り合いの車の前に飛び出すことは、愚(おろ)かな選択である。
しかしながら、それしか出来なかったのである、
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれることは、恵まれた日本に生まれた人から見れば愚かな選択である。
しかしながら、アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた人達は、そこに生まれなければならなかったのである。
2022年11月12日土曜日
追憶 3687
そのことを理解しなければ、わたし達が愚(おろか)かな選択をすることは無駄になってしまうのである。
残念ながら、わたし達は愚かな選択を繰り返す。
それは、仕方のないことである。
なぜなら、それしか出来ないからだ。
より良い選択というものは確実に存在している。
しかしながら、それを選択することは出来ないのである。
2022年11月11日金曜日
追憶 3686
アフリカ大陸の恵まれない地域に生まれた子どもは、そこに生まれなければならなかったのである。
そこで、飢(う)えなければならなかったし、苦しまなければならなかった。
衣食住に恵まれた日本に住んでいると、アフリカの恵まれない子ども達の状態は悪いことのように思うかも知れないが、それを体験しなければならない魂であるということを理解しなければならないだろう。
2022年11月10日木曜日
追憶 3685
仕方のないことを嘆(なげ)いても仕方がないのである。
人間に出来ることは、起きてしまったことから学ぶことだけである。
起きたことを否定しても仕方がないのだ。
なぜなら、起きたことは変えられないからである。
表面的な情報や感情に惑(まど)わされてはならないのだ。
2022年11月9日水曜日
追憶 3684
知り合いは、轢(ひ)こうとして轢いた訳ではない。
当然のことながら、ハクビシンが飛び出して来たのを認識した時には、ハクビシンを轢かないようにハンドル操作やブレーキ操作に努めたのである。
しかしながら、どれだけ努めても間に合わなかったのだ。
人事を尽くしても避けられないのだから、それは仕方がないのである。
2022年11月8日火曜日
追憶 3683
感情的になると視野が狭まる。
年配の女性は、ハクビシンのことが可哀想で仕方なかったのである。
確かに、瀕死(ひんし)の状態のハクビシンは可哀想である。
しかしながら、それは避けることが出来ないこの世界の決定事項なのである。
2022年11月7日月曜日
追憶 3682
牛や豚や鳥や魚などの動物の肉を食べているのに、動物の死を受け入れられないのは矛盾(むじゅん)しているのである。
残念ながら、無駄な死というものは存在しない。
人間が食することがなくても、他の動植物や微生物の糧(かて)となるからである。
人間が食べられないものは他の動物が食べるし、他の動物が食べられないものは昆虫が食べる。
昆虫が食べられないものは微生物が食べるし、微生物が食べられないものは植物が食べるのである。
何一つとして無駄になるものはないのだ。
2022年11月6日日曜日
追憶 3681
ハクビシンの死を可哀想に思うのは理解することが出来るが、それで不平不満や嘆(なげ)きを吐いて“腐る”ことには何の意味も価値もないのである。
感情的に対応すれば、自分自身の矛盾(むじゅん)にも気が付くことが出来ないだろう。
これは、完全な推測(すいそく)であるが、恐らくは、年配の女性は普段から肉を食べているだろう。
2022年11月5日土曜日
追憶 3680
目の前の事象は、それがどのようなものであれ最善である。
しかしながら、未熟である人間には、そのことを理解することが出来ない。
事象に対して感情的に対応するのであれば、そこから得られるはずであった学びは損なわれてしまうのである。
年配の女性にとって、ハクビシンの死は価値を持たなかったのだ。
それは、彼女が事象に対して感情的に対応し、そこから得られるはずの学びを損なってしまったからである。
学びを損なえば、成長することは出来ないのである。
2022年11月4日金曜日
追憶 3679
ハクビシンは飛び出さなければならなかったし、知り合いは避けきれずに轢(ひ)かなければならなかった。
そして、年配の女性はそれを目撃しなければならなかったし、知り合いは責められなければならなかった。
知り合いは瀕死(ひんし)のハクビシンを草むらに運ばなければならなかったし、ハクビシンは(恐らく)死ななければならなかった。
知り合いはその場を立ち去らなければならなかったし、年配の女性はその場に残されなければならなかったのである。
2022年11月3日木曜日
追憶 3678
年齢の女性には、そのことが分からなかったのであろう。
人生には、思い通りにならないことしかないし、過去を取り戻すことは出来ないのである。
起こったことは仕方のないことだ。
それが気に入らないからといって駄々(だだ)を捏(こ)ねても仕方がないのである。
2022年11月2日水曜日
追憶 3677
あの状況では、知り合いは突然飛び出して来たハクビシンを避けることは出来なかった。
瀕死(ひんし)のハクビシンを助けることも出来なかったのである。
知り合いに出来ることは、ハクビシンを草むらに移動し、命が尽きるのを待つくらいのものである。
それ以外には何も出来なかったのだ。
2022年11月1日火曜日
追憶 3676
年配の女性は、ある意味では、純粋な心の持ち主だったのであろう。
しかしながら、目の前の事象や自らの感情しか見えていないのである。
それでは、偏見(へんけん)や誤解は増すばかりであるだろう。
冷静に、目の前の事象や自らの感情を観察し、その意味と価値を理解するように努めるのであれば、より良く対応することが出来たのである。
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