光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年8月31日水曜日
追憶 3614
しかしながら、多くの人はそのことに気が付いてはいないだろう。
多くの人は、金に価値があると信じているし、金額が高いもの程、価値が高いと信じているのである。
しかしながら、最も金額の低いものでも、金よりは価値があるのだ。
金よりも価値があるから、金と交換するのである。
2022年8月30日火曜日
追憶 3613
金の方が価値があるのであれば、誰も何かを買わないのである。
金を支払って手に入れられるものは、金よりも価値のあるものだ。
値段の問題ではない。
大金を叩(はた)いてでも手に入れられるものは、金よりも価値がある。
わたし達は、金よりも価値のあるものに囲まれているのである。
2022年8月29日月曜日
追憶 3612
どのような守銭奴(しゅせんど)も、金は使わなければならないのだ。
それは、この世には、金よりも価値のあるもので溢れているからである。
値段が付いている物は、金よりも価値のあるものである。
金よりも価値があるから、金を手放してまで手に入れるのである。
2022年8月28日日曜日
追憶 3611
大金を抱えて飢(う)え死にする人がいるだろうか?
大金を抱えたままで死ぬことは愚かなことである。
命が助かるのであれば、あなたは全財産を擲(なげう)つだろう。
金の方が価値があるのであれば、金を使うことはない。
しかしながら、金を貯えるだけの人はいない。
2022年8月27日土曜日
追憶 3610
食べるものが足りなければ、大金をはたいてでも食べるものを手に入れようとするだろう。
それが、当たり前である。
しかしながら、多くの人は金や欲に目が眩(くら)んで、その当たり前を見失ってしまうのである。
金と食料なら、食料の方が本質的には価値があるだろう。
2022年8月26日金曜日
追憶 3609
経済的な成長には限界がある。
自然界から搾取(さくしゅ)し終われば、それが限界である。
経済的に成長する程に、自然界は縮小する。
自然界が縮小すれば、経済的な成長は望めない。
例えば、食べるものが足りないのに、金に価値を見出す人はいないだろう。
2022年8月25日木曜日
追憶 3608
資本主義が自然を破壊する。
多くの人が金のために生きれば、それだけ自然界から搾取(さくしゅ)することになる。
多くの人が贅沢(ぜいたく)な暮らしをすれば、自然環境は豊かさを失う。
搾取するのだから、自然界は乏(とぼ)しくなってしまうのである。
2022年8月24日水曜日
追憶 3607
しかしながら、多くの人は成功者を目指している。
多くの人にとっては、目先の利益や安心の方が重要なのである。
植物や他の動物が搾取(さくしゅ)され、蹂躙(じゅうりん)されたとしても、自分や自分の大切に思う人の目先の利益や安心を守ることに重きを置くのだ。
目先の利益や安心、そして、成功を追い求める人が多い程に、自然界は疲弊(ひへい)していく。
2022年8月23日火曜日
追憶 3606
自然界から多く搾取(さくしゅ)した者が成功者である。
多くの植物や他の動物を蹂躙(じゅうりん)した者が成功者なのである。
植物や他の動物と共存共栄しようと生きる者は、負け組とか変わり者とか世捨て人などと呼ばれ蔑(さげす)まれる。
人の世は歪んでいるのである。
2022年8月22日月曜日
追憶 3605
対等だと思っている相手から搾取(さくしゅ)したり、蹂躙(じゅうりん)することはないだろう。
植物や他の動物と対等だと思っているのであれば、共存共栄するように努めるのである。
しかしながら、パフォーマンスは抜きにして、実際は金儲(かねもう)けが先行しているだろう。
なぜなら、金儲けをしなければ、競争に勝たなければ、会社や仕事が成り立たないからである。
2022年8月21日日曜日
追憶 3604
多くの人間は、植物や他の動物よりも自分が上等な存在だと思っているだろう。
成功者である程に、そのような価値観が強いのではないだろうか?
自分(人間)が、植物や他の動物よりも上等だと思わなければ、そこから搾取(さくしゅ)することはないのである。
自分よりも下等な存在だと思っているから、蹂躙(じゅうりん)することが出来るのである。
2022年8月20日土曜日
追憶 3603
幼く未熟な者程、大声を発し、我儘(わがまま)である。
人の世は、そのような者が幅を利かせている。
声が大きく、我儘であり、欲深く、利己的な者が成功者である。
成功者は、自分を上等だと思うだろう。
もちろん、それは心の中の秘め事である。
2022年8月19日金曜日
追憶 3602
しかしながら、多くの人間はそのことを知らない。
自分が植物よりも下等な生き方であることを知らないのである。
そのため、人間は我が物顔で自然環境を破壊する。
それは、自分が上等な生き方で、植物が下等な生き方だと思い込んでいるからであるだろう。
もしくは、そのような認識すらないのかも知れない。
2022年8月18日木曜日
追憶 3601
もちろん、互いに支え合うことで自然界は成り立っている。
植物にも動物は必要であるだろうが、上等や下等という言葉を用いたのは、動物というよりは人間が傲慢(ごうまん)だからである。
人間は、自分よりも下等だと思い込んでいる植物に寄生しているのである。
2022年8月17日水曜日
追憶 3600
動物の方が進化しているというのが、多くの人の考えであるだろう。
それは、動物の方が活動的であり、複雑な肉体構造や文化を持ち、植物を利用する力を持っているからである。
しかしながら、上等だと思える動物は、植物なしでは生きていくことが出来ない。
下等だと思える植物こそが、すべての動物を養っているのである。
2022年8月16日火曜日
追憶 3599
植物は、動物に利用される立場でありながら、動物を支配している。
恐らく、植物は動物がいなくても生存することが可能であるだろう。
しかしながら、動物は植物がいなければ生存することが不可能である。
どちらが上等な存在か分かるだろう。
2022年8月15日月曜日
追憶 3598
植物は、食べられるために進化している。
植物は、食べられることで繁栄しているのである。
植物は、動物のように素早く行動することが出来ない。
その性質上、植物は動物に利用される立場である。
しかしながら、植物の助けがなければ、動物は生きていくことすら出来ない。
2022年8月14日日曜日
追憶 3597
もちろん、成長とは、多くの人が考えるような偉そうな大人に成ることではない。
多くの人がそうしているように、地位や名声や財産を背負って、傲慢(ごうまん)に、大きく膨(ふく)れることでもない。
成長とは、与えて小さく成ることである。
植物のように、困っている人に自分自身を与えられることが成長なのである。
2022年8月13日土曜日
追憶 3596
どれだけ金があっても、情報や生活の進歩は買えないのである。
昭和の金持ちがどれだけ金を払っても買えなかった情報や生活を、令和のわたし達は大金を注がずとも手に入れているのである。
個人的には、常に現在が最も豊かだと思える。
それは、個人的な経済事情のことではない。
常に現在が、自分自身が最も成長している状態だと思えるからだ。
2022年8月12日金曜日
追憶 3595
しかしながら、今日(こんにち)のわたし達は、高度経済成長期やバブル期とは比べ物にならない便利な世の中を生きている。
情報も生活も、比べ物にならない程に便利である。
それは、豊かさだと思える。
今の暮らしを捨てて、高度経済成長期やバブル期の暮らしをしたいか?と言われるとそうは思えない。
2022年8月11日木曜日
追憶 3594
現在は、個人的には日本は最も豊かな暮らしをしていると思っている。
賛否両論あるだろうが、子どもの頃に比べても何不自由ないと思える。
昭和後期が良かったというのは理解することが出来る。
高度経済成長期やバブル期を賞賛(しょうさん)する人は多い。
2022年8月10日水曜日
追憶 3593
これは、武士の価値観である。
しかしながら、日本人には理解することが出来る価値観であるだろう。
わたしは武士ではないが、“襤褸(ぼろ)を着ても心は錦(にしき)”という言葉が好きである。
見た目よりも中身が大切だと思うのである。
2022年8月9日火曜日
追憶 3592
“武士は食わねど高楊枝”という言葉がある。
これは、例え満足に食べられなくても、満腹であるかのように爪楊枝を咥(くわ)えている姿を世間に見せるという意味である。
痩せ我慢や見栄を張るという意味を含(ふく)んだ言葉だ。
これは、例え生活は貧しくても、心は豊かであるという武士の心意気である。
2022年8月8日月曜日
追憶 3591
与えていれば、豊かにはなれないのだ。
それは、与える程に貯えが減るからである。
豊かになる程に、人は与えることを惜しむようになる。
昔は、貧しくて助け合わなければ生きていけなかった。
その頃、人は心を豊かにしたのである。
しかしながら、今日(こんにち)は、大抵のことは自己完結することが出来る豊かな世の中である。
世の中や生活が豊かになるに連れて、心は貧しくなっていったのである。
2022年8月7日日曜日
追憶 3590
自己完結することが出来ることを、わざわざ他者に頼ることはないだろう。
昔は皆が貧しかったから、分け合わなければ生きていくことが出来なかったのであろう。
その名残がお裾分(おすそわ)け文化である。
豊かである方が分け合うように思うかも知れないが、豊かな人は貯えるから豊かなのである。
与えれば豊かさからは遠ざかってしまうだろう。
2022年8月6日土曜日
追憶 3589
田舎に住む人達の間には、お裾分(すそわ)けの文化が色濃く残っている。
もちろん、都会でも大切な人に贈り物をするから、お裾分け文化が途絶えた訳ではない。
しかしながら、経済的に豊かになり、ある意味で自立することが出来るようになると、他者との関係性は薄れていく。
なぜなら、助けてもらわなくても、自己完結することが出来るからだ。
2022年8月5日金曜日
追憶 3588
所有物に対する執着(しゅうちゃく)が少ないから、金持ちには成れないのである。
金持ちに成るためには、所有物に対する執着が大きくなければならないのだ。
欲深さが、金儲けに対する情熱を与える。
欲のない者には、そのような熱意もないのである。
2022年8月4日木曜日
追憶 3587
それは、相手のことを思った行為なのである。
わたしも、上げられる物があれば、出来る限り誰かにもらってもらう。
その行為に見返りなど求めない。
食べて欲しいとか、喜んでもらいたい、とかその程度の気持ちである。
貧しいというのは語弊(ごへい)があるが、経済や金を信仰していない金持ちでない人程、見返りを求めずに与えるように思える。
2022年8月3日水曜日
追憶 3586
一部の未熟な人間達の下らない争いが歴史として教えられているために、日本はピラミッド型の生態系であるように思えるが、大半の日本人は互いに助け合い、支え合って生きていたに違いない。
わたしは田舎に住んでいるが、誰かが勝手に野菜や果物などを置いていく。
それは、見返りを求めての行為ではない。
2022年8月2日火曜日
追憶 3585
貧しい時代には、互いに助け合い、支え合わなければ生きていけなかった。
日本は経済的には貧しい国であった。
日本は、ピラミッド型の生態系ではなかったと思える。
大名は天下を取るために争っていたが、それは、一部の人間の生き方であるだろう。
2022年8月1日月曜日
追憶 3584
それは、戦争ですべてを無くした人達にとっては、恵みを与えてくれる偉大な神に見えただろう。
しかしながら、与えられた経済と金は、“彼等”の大好きな“一番”を取らなければならない世界観であった。
例えば、日本には本来、そのような世界観はなかっただろう。
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