光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年5月31日火曜日
追憶 3522
自然が良いと思っているのであれば、薬漬けの医療は発展しなかったし、添加物漬けのファストフードや加工食品が重宝されてはいなかったのである。
多くの人が不自然を追い求めた結果が、今日(こんにち)の不自然な世の中なのである。
2022年5月30日月曜日
追憶 3521
多くの人が自然だと思っていることは、残念ながら不自然である。
しかしながら、それに気が付くことは難しい。
多くの人は、豚が真珠を身に付けている方が良いと思っているし、人生には、不平不満を吐く方が良いと思っている。
そのため、多くの人は不平不満を吐くのである。
2022年5月29日日曜日
追憶 3520
人が不平不満を吐くことは、豚が真珠を身に付けていることに等しい。
それは、不自然であり、似合わないということである。
しかしながら、多くの人は不平不満を吐く。
それは、人間にとって不自然なことであるが、多くの人は自然にそうしているのである。
2022年5月28日土曜日
追憶 3519
人生には、最善だけが実現するが、それが分かるのは成長した後のことである。
すべてが、時に叶(かな)い、神に許(ゆる)されたことであるが、成長するまではそのことを理解することが出来ない。
そのため、多くの人は、人生や時代や世界や、環境や状況や、他者や自分自身に対して、不平不満を吐くのである。
2022年5月27日金曜日
追憶 3518
思いやりが失敗に終わることもある。
ここで言う失敗とは、相手が気に入らない結果のことである。
しかしながら、相手が気に入らないからと言って、それが最悪だとは限らない。
なぜなら、すべての人が未熟だからである。
時に叶い、神に許(ゆる)された最善も、未熟者からすれば最悪に思えるのだ。
2022年5月26日木曜日
追憶 3517
厳密(げんみつ)には、神に許(ゆる)されないことは行うことが出来ない。
どのように身勝手な行為も、行えるのであれば神に許されている。
ここで言う神に許されていない身勝手な行為とは、神の意図を汲(く)むことのない行為のことである。
例えば、相手のことを考えた行為なら、それが結果的に相手の都合の悪い結果を導いたとしても、徳を積むことになる。
2022年5月25日水曜日
追憶 3516
どれだけの偽善を積み重ねても、徳を積むことにはならない。
ゴミを積み重ねたとしても、宝にはならないのである。
相手のためを思った行為が、時に叶わず、神に許されていないことがある。
本人は、相手のためを思って行為しているのであるが、理(ことわり)への理解が乏(とぼ)しいために、自分勝手な偽善になってしまうのである。
しかしながら、本人はそのことには気が付かない。
2022年5月24日火曜日
追憶 3515
自分や他者の行為が引き金となって、都合の悪いことが起きたとしても、それが悪行(あくぎょう)であるとは限らない。
時に叶い、神に許されたことであるなら、都合の悪いことが最善なのである。
例えば、道徳に反した行為をしたとしても、それが結果的に相手のためになるなら徳を積むことになる。
相手があなたの行為の価値を理解することが出来ず、一方的に恨(うら)まれたとしても、徳を積むことになるのだ。
2022年5月23日月曜日
追憶 3514
徳とは、偽善のことではない。
多くの人は、良いことをすることを徳だと思い込んでいる。
しかしながら、それが自分勝手な偽善だとは気付かない。
良いこととは、時に叶い、神に許されたことである。
例えば、人生には都合の悪いことが起きる。
時にそれは、誰かの行為が引き金で起こることもあるだろう。
2022年5月22日日曜日
追憶 3513
力を持っていても、それを発揮させる能力がなければ宝の持ち腐れである。
誰もが力は持っているが、それを発揮させる能力を磨いてはいない。
潜在する力を発揮させるためには、意識を成長させなければならない。
意識を成長させるためには、理(ことわり)への理解を深めることである。
そして、徳を積むことである。
2022年5月21日土曜日
追憶 3512
理解力や才能とか感性というものも、意識の段階によって異なる。
意識の段階が向上する程に、理解力や才能や感性も磨かれる。
意識の段階の低いところにいる者は、理解力や才能や感性は発揮されない。
それは、自らの理解力や才能や感性を発揮させる能力がないからである。
2022年5月20日金曜日
追憶 3511
人生に対する理解の浅い老人もいれば、理解の深い若者もいる。
人生経験の少ない若者の方が、人生経験の多い老人に対して、人生に対する理解で勝るのは、生まれた時点においてスタート位置が違うからである。
長年生きていても愚(おろ)かな人もいれば、若くして賢明(けんめい)な人もいるのだ。
2022年5月19日木曜日
追憶 3510
なぜなら、人は生まれ変わらなければならないからだ。
残念ながら、人生が一度切りということはない。
死を迎えても、また新たに始めなければならないのである。
しかも、同じ場所からのスタートであることを理解しなければならないだろう。
肉体や時代や場所は違っていたとしても、同じ意識の段階から人生を始めなければならないのである。
2022年5月18日水曜日
追憶 3509
人は、人生の目的を追求して生きるべきである。
なぜなら、“自分が何であるか?”、“人生とは何か?”という問いを持ったままでは死ねないからだ。
もちろん、大抵の人は答えに辿り着くことなく人生を終える。
しかしながら、人生の目的を無視してただ死を待つことと、人生の目的を追求して一歩でも進むことには大きな違いがある。
2022年5月17日火曜日
追憶 3508
豚は、自分であることが最も美しいことを知っているのではないだろうか?
自分とは、歪(ゆが)みの無い状態のことである。
大抵の豚には、歪みは無いだろう。
そのため、真珠を欲しがらないのである。
人は、本来ならば、人生の目的(への理解)を欲しがるべきである。
人生の目的を追求する生き方こそが、人の本来の美しさであるだろう。
2022年5月16日月曜日
追憶 3507
今のわたしは、若い頃に比べて見た目を気にすることはなくなった。
小綺麗にしていたいとは思うが、着飾りたいとは思わない。
シンプルでラフな格好で良いと思う。
それは、若い頃に比べると、多少は中身が育ったからではないだろうか?
真珠で着飾らなくても、ただの豚であることへの自信が付いたのである。
2022年5月15日日曜日
追憶 3506
わたしは年齢を重ねる度に、見た目を過度に気にしなくなった。
思い返してみると、若い頃は、着飾ることが好きというよりも、他者からどのように見られるか?ということの方が重要だったのかも知れない。
年を取ると、他者からどう思われていようが大して気にならなくなった。
これは、若い頃は自分に自信が無かったから、それを補(おぎな)うために着飾っていたのではないかと思う。
2022年5月14日土曜日
追憶 3505
年齢を重ねることは、経験を重ねることである。
経験を重ねることは、磨くことである。
気にすることは執着(しゅうちゃく)することであるだろう。
それは、不自然なことである。
磨かれていなければ、不自然に執着してしまう。
豚は、真珠を身に付けなくても美しい。
豚は、豚でありさえすれば美しいのである。
2022年5月13日金曜日
追憶 3504
どのように綺麗に化粧をしていても、そこに不自然な美を見てしまう。
化粧品や化粧をしている人を批判する訳ではない。
これは、個人的な美的感覚なのである。
わたしも若い頃には、髪型や服装を気にしていた。
無駄に高価なアクセサリーなどをたくさん身に付けていたものである。
2022年5月12日木曜日
追憶 3503
豚に真珠は似合わない。
なぜなら、不自然だからである。
豚にとって真珠は余計なものであり、自由を損うものであるだろう。
残念ながら、それは美しいとは言えないのである。
例えば、わたしは女性は化粧をしていない方が美しいと思う。
何歳の女性であろうとも素顔が最も美しいと思うのである。
2022年5月11日水曜日
追憶 3502
人にとっての本質的な価値とは、人生の目的である。
人は、人生の目的が果たせればそれで良いのである。
しかしながら、多くの人はそのことを知らない。
多くの人は、そのことを知らないために余計に“着飾る”のである。
多くの人は、着飾っていることが美しいと思うし、幸福や豊かさだと信じているのである。
あなたは、真珠を首から下げている豚がいたらどう思うだろう?
2022年5月10日火曜日
追憶 3501
当然のことながら、豚が真珠を奪い合って争うことはない。
食べ物や縄張りや交尾の相手を奪い合って争うことはあるかも知れないが、それは、生物として本質的な価値を追う姿勢である。
豚は、人間のように余計に欲することはないだろう。
人間の欲求は足ることを知らない。
人間は、どれだけ手に入れたとしても足らないと思ってしまうのである。
2022年5月9日月曜日
追憶 3500
人にとっては、この世の財産よりも、人生の目的の方が価値がある。
財産や地位や名声に価値を見出している人は多い。
大抵の人はそうしている。
しかしながら、それは、本質的ではない価値を必死で求めている姿なのである。
豚が真珠を得るために、互いに争っているような光景であるだろう。
2022年5月8日日曜日
追憶 3499
心が真っ直ぐで豊かな人が、見栄を張るために真珠を欲しがるだろうか?
そのような人は、本質的な価値を欲するだろう。
高級とか、多くの人が欲しているという理由では、それを欲しがらないのである。
豚は、自分にとって真珠には価値がないことを知っている。
そのため、真珠には見向きもしない。
豚にとっては、その辺りに生えている野草や泥(どろ)の方が、真珠よりも価値のあるものなのだ。
2022年5月7日土曜日
追憶 3498
高級というのは、希少価値のことである。
経済的な視点で判断すれば、希少である程に価値が与えられる。
豚は、珍しいという理由で真珠に価値を見出すことはない。
豚は、自分にとって本当に必要なものに価値を見出す。
見栄を張りたい人にとっても、それは必要なものであるのかも知れないが、それは、歪んだ心が欲しているだけなのである。
2022年5月6日金曜日
追憶 3497
真珠は、とても美しく思えるし、見栄を張るには重宝する。
宝石や洋服なども同じであるが、多くの人は、高級なもの程価値があると信じている。
高級な物は、優越感や所有欲などの自己満足を満たすためには役に立つし、それに関しては価値があるが、それが本質的な価値ではないだろう。
なぜなら、安くて機能性や耐久性に優れるものが他にあるからである。
2022年5月5日木曜日
追憶 3496
人間にとっては価値のある真珠も、豚にとっては何の価値もないものである。
豚には、真珠の使い道がないからだ。
豚にとって、真珠はその辺の小石と変わりないだろう。
真珠に価値を見出すのは人間だけである。
真珠は、人間にとっては価値のあるものだ。
2022年5月4日水曜日
追憶 3495
社会的な地位や名誉を築くことには特別な価値は無い。
財産を築くことにも特別な価値は無いのである。
なぜなら、それ等を誰よりも所有していようとも、人生の意味や目的を知らないのであれば、空しいからだ。
“豚に真珠”である。
わたし達は、人生とその目的を与えられている。
しかしながら、多くの人にはその価値が分からないのだ。
2022年5月3日火曜日
追憶 3494
掘り下げていくと、より本質的なものになる。
本質を得るためには、深く掘り下げる必要があるのだ。
簡単に諦(あきら)めてはならない。
多くの人は、本質に辿り着く前に諦めてしまう。
人生の目的に辿り着く前に、目の前の快楽や欲望や責任に惑(まど)わされてしまうのである。
2022年5月2日月曜日
追憶 3493
物作りにおいては、長寿命で使い勝手が良く、安価であることが本質的な条件であるだろう。
国産車は、外国の自動車のアイデアや技術を取り入れていることも多い。
そのまま取り入れているのであれば価値は無いが、それをより良いものに改良することが出来るのである。
2022年5月1日日曜日
追憶 3492
それぞれの必要性によって、役割が分かれている。
外国的な考え方や価値観も必要だろう。
しかしながら、それでは問題があるため、国産の自動車は不具合や故障が少ないように作られているのである。
もしも、外国の自動車のような”やり方”が本質的であるならば、国産車の自動車も同じことをしているはずなのである。
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