このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2021年1月31日日曜日

追憶 3037

必要とは、“有りの儘(まま)”である。
目の前の現実こそが必要なのである。
都合は関係ないのだ。
都合が良くても悪くても、有りの儘の現実こそが、今の自分にとっての必要であるだろう。
不都合な現実も、一旦(いったん)は受け入れなければならない。
欲を出して、他のより良い状況を求めてはならないのである。

2021年1月30日土曜日

追憶 3036

多過ぎることも、少な過ぎることも快適であるとは言えない。
必要が必要の範囲にとどまっていることが快適なのである。
必要の範囲を見極めるためには、損得勘定などの欲を捨てることだ。
利益や損失、不足や欲求を所有していると、必要が分からなくなってしまうのである。
必要の範囲が分からなければ、快適な旅にすることは出来ないだろう。

2021年1月29日金曜日

追憶 3035

人生を豊かなものにするためには、必要以上に求めないことである。
多くの人は、必要以上を得ることによって、豊かさが得られると思っているだろう。
しかしながら、必要以上を得ることは、必要以上の荷物を背負うようなものなのである。
人生とは、目的地を目指す旅のようなものだ。
わたし達は、目的地に向かって歩みを進めているのである。
豊かさとは、その旅が快適なことだと考えれば良いだろう。

2021年1月28日木曜日

追憶 3034

多くの人は、自らに不相応(ふそうおう)なものを得ようとする。
それは、強欲だからだ。
強欲が、生活を破綻(はたん)させるのである。
多くの人の人生は破綻している。
人生に豊かさを実感することが出来ない状態は、人生の失敗を意味している。
苦悩や空しさを生きている人は、強欲な人なのである。
強欲だから、目の前の必要と最善を受け入れて感謝することが出来ないのである。

2021年1月27日水曜日

追憶 3033

結局のところ、人は、自らに相応(ふさわ)しい状況や環境を得る。
不相応(ふそうおう)なものは願っても得られないのである。
しかしながら、自らの収入に見合わない高価な買い物も、借金によって実現することが出来る。
本来ならば、手に入れることが出来ない物も、ローンを組めば所有者は別としても与えられるのだ。
しかしながら、収入に見合わない買い物のローンを返済することは難しいだろう。
借金を返済することが出来なければ、与えられた物は実際の所有者に取り上げられ、あなたの元には何も残らないのである。

2021年1月26日火曜日

追憶 3032

多くの人は、目の前の状況や環境が気に入らないという理由で安易(あんい)に否定する。
しかしながら、目の前の状況や環境を否定したとしても、学びに変わりはない。
学びに変わりがなければ、逃げ出した先の状況や環境には、同じ問題か、それ以上の問題が待っているのである。
例えば、労働環境や人間関係に嫌気が差して転職したとしても、転職先の労働環境や人間関係が良いとは限らない。
向上意欲や感謝する気持ちを持たない者は、より悪い状況や環境を得なければならないのである。

2021年1月25日月曜日

追憶 3031

目の前の状況から必要を学び終えたら、次の学びを得られるだろう。
状況や環境というのは、学びの一面である。
学びを成り立たせるために、その状況や環境が必要なのだ。
より良い状況や環境だけを求めても、学びが存在しなければ得られないのである。
状況や環境というものは、学びの副産物のようなものだ。
副産物は、産物を作る過程で得られるものである。
副産物だけを得ることは出来ないのだ。

2021年1月24日日曜日

追憶 3030

目の前に導かれる状況や環境は、自分に相応(ふさわ)しい。
人は、自分に相応しいもの以外を受け取ることは出来ないのである。
多くの人は強欲に、自分に不相応な状況や環境を求める。
より良いものを求めることは決して悪いことではない。
しかしながら、現状を否定して、より良いものを得ようとするのは間違っているだろう。
より良いものを得るためには、現状を認めなければならない。
次の段が無い梯子(はしご)を登ることは出来ないのである。

2021年1月23日土曜日

追憶 3029

自分にとって、より良い状況や環境が存在するのは事実なのかも知れない。
しかしながら、今の自分にとっての最善は、目の前の状況や環境に違いないのである。
目の前の状況や環境に不平不満を吐いているのであれば、それ以上に良い状況や環境など与えられるはずはないのだ。
不平不満を吐く者は、自らの在り方に相応(ふさわ)しい状況や環境が与えられる。
より良い状況や環境を得るためには、それに相応しいより良い人格に成らなければならないのである。

2021年1月22日金曜日

追憶 3028

残念ながら、人は、有りの儘(まま)を受け入れることが出来ない。
それが、どのような状況であろうとも、今の自分にとっては必要な学びなのである。
多くの人は、目の前の状況が自分には相応(ふさわ)しくないと考える。
自分には、どこかにもっと良い状況や環境が存在すると信じているのだ。
より良い状況や環境が存在すると信じているために、自分に必要な学びを否定することになる。
それは、必要以上を求めるということなのである。

2021年1月21日木曜日

追憶 3027

多くの人が、欲深く生きている。
それは、今も昔も変わらない。
欲の深さは、多く持つ者も少なく持つ者も変わりない。
多く持つ者は、多く持つ者なりの強欲さがあり、少なく持つ者は、少なく持つ者なりの強欲さがあるのだ。
欲深い者は、どのような立場にあっても欲深いのである。
強欲は、人間が乗り越えなければならない壁なのだ。

2021年1月20日水曜日

追憶 3026

自我や我欲が弱まり、人格(魂)が磨かれることが正しい生き方であるだろう。
世の中で活躍している人や、豪華に暮らしている人に注目が集まるが、それが正しい生き方であるとは限らないのである。
権力や資産を持つ者が正しいのであれば、歴史上の様々な争いや掠奪(りゃくだつ)は正しいことになってしまう。
権力や資産を求める欲深い者が、争いや掠奪を繰り返しているのである。
形が変わっただけで、現在でも争いや掠奪は存在している。
分かり難(にく)くなっただけで、人間や世の本質は変わらないように思える。

2021年1月19日火曜日

追憶 3025

それは、世の中が汚れ、歪んでいるということを意味しているのである。
欲深い者が称賛(しょうさん)されるような世界など、低俗(ていぞく)なのである。
残念ながら、すべての人は、汚れ、歪んだ価値観の世界を生きている。
生まれた瞬間から汚れ、歪んだ世界を生きているために、大抵の人は、汚れ、歪んだ状態を自然だと思い込んでしまう。
そのため、多くの人は、間違いに気が付かない。
多くの人は、間違いを正解だと思い込んでいるのである。

2021年1月18日月曜日

追憶 3024

自我や我欲というものは、集めようとする意識である。
自我や我欲が強い人程、多くを集めようとする。
欲深い人程に、自我や我欲が強いのだ。
それ程、魂が汚れたり、歪んでいるのである。
しかしながら、世の中は、多くの人は、欲深い人を称賛(しょうさん)する。
より多くを集めた者が褒(ほ)められ、憧(あこが)れを抱かれるのである。

2021年1月17日日曜日

追憶 3023

天使や霊的な存在の守護が強く働いていたとしても、人よりも楽で贅沢(ぜいたく)な暮らしが出来るとは限らない。
寧(むし)ろ、欲望が“整え”られるために、楽や贅沢な暮らしに執着することはなくなる。
わざわざ、苦労を選ぶ必要はないだろうが、苦労の多い人生になるのではないかと思う。
人格(魂)を磨く程に、わたし達は自我や我欲を失っていく。
自我や我欲という利己心こそが、魂の汚れや歪みなのである。

2021年1月16日土曜日

追憶 3022

わたしは天使や霊的な存在と共に生きているが、人生は決して楽なものではないと思っている。
わたしも、皆と同じように苦労しなければならない。
恐らくは、皆よりも苦労しなければならないだろう。
黒く重たい心や霊や神を浄化する仕事は、とても難儀(なんぎ)である。
通常の仕事や生活に織り込むように霊的な活動をしなければならないために、睡眠時間は極端に短くなってしまう。
最近では、光の天秤の記事を完成させるのに体力が足らずに、パソコンの前で座ったまま眠ってしまうことが連日である。
横になって眠るということは、一週間に一度や二度の贅沢(ぜいたく)であった。

2021年1月15日金曜日

追憶 3021

人生の目的は、人格(魂)を磨くことにある。
どのような経験も、最終的には人格を磨く学びなのだ。
人格の磨かれない人生というものは存在しない。
悪人と呼ばれる人物の人生も、そのような経験を通じて人格を磨くのである。
反省することがなくても、死後や来世では反省することになる。
わたしは、これまでにたくさんの悪事を働き、たくさんの人に迷惑を掛けた。
そのために、わたしは自らの未熟さを反省するような人生に生かされている。

2021年1月14日木曜日

追憶 3020

様々な問題や苦しみが繰り返し導かれることによって、人は、この世の理(ことわり)や、避けることの出来ない宿命を受け入れ、辛抱強く、誠実な人柄を身に付けていくだろう。
問題や苦しみが人格を磨くのである。
そのため、人生には問題や苦しみが必要不可欠である。
多くの人は、問題や苦しみを避けようとするが、人生の構造上、それは不可能であるだろう。
すべての人は、問題や苦しみを避けることが出来ないのだ。
それは、すべての人が問題や苦しみに相応(ふさわ)しい汚れや未熟さを抱えているからである。

2021年1月13日水曜日

追憶 3019

何度も繰り返していると、どのように鈍感(どんかん)な人も気が付く。
例えば、生まれ変わりを否定している人は、生まれ変わりの回数が少ないという可能性が高いだろう。
霊の存在を認めない人は、霊的な体験の数が少ないから認めないのである。
何度も繰り返し体験すれば、嫌でも気が付くし、嫌でも受け入れるようになるのだ。
人生において、問題や苦しみを繰り返し体験している人は、辛抱強(しんぼうづよ)く、
誠実な人に成るだろう。
しかしながら、人生において、問題や苦しみの体験が少ない人は、我儘(わがまま)な意気地無(いくじな)しに成ってしまうだろう。

2021年1月12日火曜日

追憶 3018

親に成ることがなくても、老化や病気や孤独などの問題によって、若さや健康や仲間などの“当たり前”の価値に気が付くし、再び、若さや健康や仲間を得ることで、若さや健康や仲間の価値を理解するのである。
今回の人生だけで考えると、再び若さを得ることは出来ないと思うだろう。
再び、健康や仲間を得ることも難しく思うかも知れない。
しかしながら、生まれ変われば、誰もが再び若さを得るし、健康や仲間を得ることも出来るのである。

2021年1月11日月曜日

追憶 3017

問題や苦しみも、やがては感謝に変わる。
今は感謝することが出来ないとしても、いつかは感謝する時がやって来るのである。
経験を積むことによって、分からなかったことも分かるようになってくる。
子は、親に成ることで、親の気持ちや考えを理解する。
親に成るまでは、親の気持ちや考えは想像に過ぎない。
親に成るという経験を得ることで、分からなかった親の気持ちや考えが分かるのである。
その時には、親に感謝することが出来るだろう。

2021年1月10日日曜日

追憶 3016

無理矢理に感謝しても、それを続けることは出来ない。
無理は必ず祟(たた)るのである。
大切なのは、無理なく行うことだ。
徐々に慣らしていくしかないだろう。
いきなり熱湯の中に浸かることは出来ない。
しかしながら、徐々に温度を上げていけば、慣れによって、熱湯であっても浸かることが出来るのである。
感謝することが出来るようになるまでは、様々な形で向き合う必要があるだろう。
向き合い続けていると、徐々に感謝することが出来るようになってくるものなのである。

2021年1月9日土曜日

追憶 3015

無理なく、自然に感謝するためには、そうなるまで向き合い続けなければならない。
“住めば都”というように、慣(な)れることによって違和感を取り除いていくのである。
無理矢理に感謝しても 、違和感を取り覗くことは出来ないのだ。
特別な方法は必要ではない。
誰もが無理なく使える方法が最善なのである。

2021年1月8日金曜日

追憶 3014

病などの苦しみに対して、“自然に”感謝することが出来る時に、執着(しゅうちゃく)を離れることが出来る。
病などの苦しみに対して、“ありがとう”と思えたら、その苦しみに対してこれ以上に苦しむことはないのである。
ありがたいと思っているものによって苦しむことはない。
ありがたいと思えないから苦しんでいるのだ。
無理に思い込もうとしても無駄である。
ポイントは、自然に思えるかどうか?というところだと理解しなければならない。

2021年1月7日木曜日

追憶 3013

恐らく、多くの日本人は、何かや誰かと別れる時に感謝の気持ちを伝えるだろう。
“今日はありがとう”
“今までありがとう”
というように、別れる期間の長さに関係なく、別れる時には感謝の気持ちを伝えるのである。
別れる時には、感謝の気持ちを伝えた方が気持ちが良いのである。
満足した時に、人は執着を離れることが出来るだろう。
感謝の気持ちや言葉は、執着(しゅうちゃく)を離れる時に自然と出てくるものなのである。

2021年1月6日水曜日

追憶 3012

人は、何度も生まれ変わり、人生と向き合う。
改めるまでは生まれ変わらなければならない。
改める必要が無くなった時に、繰り返しが終わるのである。
目の前の問題や苦しみに対して不平不満を吐いている内は、繰り返さなければならないだろう。
目の前の問題や苦しみに対して、感謝の気持ちを選択することが出来れば、それ以上、繰り返す必要はないのである。
感謝とは、執着(しゅうちゃく)を手放す行為なのである。

2021年1月5日火曜日

追憶 3011

一度で何かを理解することは難しい。
一度で何かを納得することも難しい。
一度で何かを改めることは難しいのである。
理解し、納得し、改めるためには、何度も何度も向き合わなければならないのだ。
理解し、納得し、改めるまでは、何度も同じことを経験しなければならない。
それは、人生においての必要であり、必要は避けられないのである。

2021年1月4日月曜日

追憶 3010

人が生まれ変わるのは、歪みや汚れを取り除くためである。
歪みや汚れを取り除くためには、様々な経験を必要とするが、一度の人生で経験することが出来るような量ではないのだ。
何度も生まれ変わることで、必要な経験が得られるのである。
それに、一度の人生で改めることは出来ないだろう。
改めるためには、納得しなければならないが、“普通”に生きては、経験の意味を理解することは難しい。
人生の意味を知らない人が大半なのである。

2021年1月3日日曜日

追憶 3009

人生は、決して一度きりのものではない。
すべてに過去生の影響が現れているのである。
人格はもちろんのこと、人間関係や状況までもが、過去生と深く関わっていることなのだ。
これまでの人生の集大成が、今回の人生なのである。
大抵の場合、人は次の人生を生きることになるだろう。
それは、生まれ変わるということである。

2021年1月2日土曜日

追憶 3008

頭や心に従って生きる人は、この世の理(ことわり)を理解することは出来ないだろう。
この世の理は、頭や心で理解することが出来る程、容易(たやす)いものではないのである。
頭や心に従って生きているのであれば、何度生まれ変わったとしても理を悟ることは出来ない。
人は、生まれ変わっている内に頭や心に従って生きることも大切ではあるが、霊や魂に従って生きることの重要性を理解するようになるのだ。

2021年1月1日金曜日

追憶 3007

人生が思い通りにならないことを理解する必要があるだろう。
人生は、頭や心の思うようにはならないのである。
それは、頭や心が未熟であり、理解に乏(とぼ)しいからだ。
頭や心の思うように人生が展開(てんかい)すれば、人生は問題の多いものになってしまうだろう。
頭や心というものは、信用ならないものなのである。