光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年6月30日木曜日
追憶 3552
蛙(かえる)は、水から茹(ゆ)でると暴れることなく茹でられてしまうという。
蛙は、ゆっくりとした温度変化に対して、事の重要さに気が付けないのであろう。
熱湯に放り込めば、蛙は必ず暴れるだろう。
しかしながら、真綿(まわた)で首を絞めるように茹でられれば、大人しく茹でられてしまうのである。
2022年6月29日水曜日
追憶 3551
多くの人は、自らが思考や心に支配されて、富を信仰(しんこう)していることを知らない。
多くの人は、思考や心の欲求を自分自身の欲求と誤解してしまうのである。
それは、慣れるからだ。
喉元過(のどもとす)ぎれば熱さを忘れるということなのである。
2022年6月28日火曜日
追憶 3550
富を信仰(しんこう)する人は、思考や心の虜(とりこ)である。
思考や心は、富が与える地位や名声、快楽や欲望が大好物なのだ。
思考や心は、それ等を満たすために“宿主”に富を信仰させる。
思考や心にとって、富を信仰していることは都合が良いことなのだ。
それは、思考や心の渇望(かつぼう)を満たしてくれるからである。
2022年6月27日月曜日
追憶 3549
残念ながら、富を信仰(しんこう)する人は、思考や心に惑(まど)わされている。
残念ながら、思考や心には、本当の価値(豊かさ)を見極める力は無い。
なぜなら、思考や心というのは表面的なものに過ぎないからである。
表面的な思考や心は、表面的なものに価値を見出すのである。
2022年6月26日日曜日
追憶 3548
富を信仰(しんこう)する人には、この見極めが出来ない。
彼等は、富を手に入れれば、豊かさが得られると本気で信じている。
しかしながら、富によって得られた豊かさの影には、富によって貧しさを得た人がいるのである。
誰かを貧しくして、自分が豊かになったとして、それが本当の豊かさなのであろうか?
残念ながら、そうではないだろう。
2022年6月25日土曜日
追憶 3547
多くの人は、金儲けの魔力に魅(み)せられて、本質を見失う。
多くの人は、誰かに教えられ、擦り込まれた偽りの豊かさが欲しいのである。
地位や名声や財産などでは、豊かさを実現することは出来ない。
争って誰かから奪い取ったもので豊かさを得られる訳がないのである。
2022年6月24日金曜日
追憶 3546
金は天下の回り物である。
誰かが金儲けをするためには、誰かが金を失わなければならない。
表面的には仲良くしているように見えても、本質は奪い合いである。
汚い手を使ったとしても、奪い合いに勝った者が強者として、地位や名声や財産を手に入れるのである。
これが、ピラミッド型の弱肉強食の食物連鎖を生きる人の考え方であるだろう。
2022年6月23日木曜日
追憶 3545
多くの人は、成長するに従(したが)って富を信仰(しんこう)するようになる。
多くの人は、経済という宗教の信者なのである。
しかしながら、そのことを自覚する人は少ないだろう。
多くの人は、いつの間にかに信者として生きるのである。
富への憧れや不安などが、人に信仰心を与える。
残念ながら、仲良く金儲けをすることは出来ない。
なぜなら、金儲けをするためには、誰かの保有する金を奪わなければならないからだ。
2022年6月22日水曜日
追憶 3544
思考や心の中に様々な企(たくら)みや不燃の感情が有れば、思考や心はそれ等で埋め尽くされてしまう。
思考や心の中に何かが有る程に、思考や心の本質には気が付けない。
本質は、最も深い場所に存在している。
思考や心に何かが有れば、最も深い場所に存在する本質は見えないのである。
2022年6月21日火曜日
追憶 3543
富を信仰(しんこう)する意識の段階においては、地位や名声や財産を得た方が有利であるように思わされる。
富を信仰する意識の段階では、“有る”方が優れているという価値観が蔓延(まんえん)しているのだ。
富を土台に考えるのだから、有る方が優れているという価値観が尊(とうと)ばれるのは当たり前のことである。
そのため、人の思考や心には、様々な企(たくら)みや不燃の感情が溢れている。
2022年6月20日月曜日
追憶 3542
金持ちで幸せな者もいるだろう。
貧しくて幸せな者もいるだろう。
幸せというものは、立場では決まらないものである。
しかしながら、富を信仰(しんこう)する意識の段階においては、幸せは立場によって決まるものだと教えられたし、そう信じているだろう。
そのために、多くの人が強者を目指すのである。
2022年6月19日日曜日
追憶 3541
強者は弱者によって成り立ち、弱者は強者によって成り立っている。
互いが互いを成り立たせているのである。
どちらか一方が有利だとか、得をしているということはない。
持ちつ持たれつの関係なのである。
世界一の金持ちが幸せとは限らない。
世界一の貧しい者が不幸とは限らないのである。
2022年6月18日土曜日
追憶 3540
有名人は、ファンによって成り立っている。
ファンからの支持がなければ、有名人ではいられないのである。
そして、有名人がいなければ、ファンは活動することが出来ないのだ。
支配者層は、愚民がいなければ、支配者層として成り立たない。
愚民も、支配者層がいなければ、愚民として成り立たないのである。
悪魔も天使がいなければ、悪魔として成り立たない。
天使が天使でいるためには、悪魔が必要なのである。
互いが互いを必要としているのだ。
2022年6月17日金曜日
追憶 3539
地位や名声や財産を手にした人が、強者として豊かさを独占(どくせん)することが出来るだろうか?
富を信仰(しんこう)する人達は、そう信じているだろう。
そのため、地位や名声や財産を手にした人に憧れて祭り上げる。
わたしには、地位や名声や財産を手に入れた人に憧れて祭り上げるファンの気持ちが分からない。
目立って稼ぎの良い仕事をし、地位や名声や財産を手に入れた人は、熱狂する程に価値のある存在なのだろうか?と思うのである。
2022年6月16日木曜日
追憶 3538
弱者は強者のために存在し、強者は弱者のために存在する。
互いのために存在していなければ、食物連鎖という循環(じゅんかん)は成り立たないのである。
食物連鎖が強者のためだけにあるのならば、弱者は存在してはいない。
互いを支えているからこそ、互いが存在するのだ。
一方的な関係性は決して長続きしないのである。
2022年6月15日水曜日
追憶 3537
地位や名声や財産を手に入れた者は、その欲深さや傲慢(ごうまん)さから、自己を正当化し、自分の生き方こそが正解であり、成功だと宣伝する。
弱肉強食の世界を生きる弱者は、強者の言っていることを真に受ける。
それは、食物連鎖を表すのが、ピラミッド型の図形だったからだろう。
弱者は自分が弱者だと信じている。
本来ならば、食物連鎖は円形で表すべきである。
なぜなら、そこには強者も弱者もいないからである。
2022年6月14日火曜日
追憶 3536
どれだけの地位や名声や財産を手に入れても空しいのである。
白熊は、食物連鎖の頂点にいるが、痩(や)せ細って獲物を探し回っている姿を見ても、幸せと思えるだろうか?
地位や名声や財産を手に入れた欲深く狡猾(こうかつ)な者達の魂は痩せ細っている。
経済的な食物連鎖の頂点に近い程、その魂は痩せ細り、人生は空しいのである。
2022年6月13日月曜日
追憶 3535
富を信仰(しんこう)する弱肉強食な世界では、食物連鎖の頂点に立てば、幸福や豊かさが得られると信じてしまう。
しかしながら、すべてを手に入れたソロモン王は、最終的に空しさを得たのである。
それは、痩せ細った白熊のようなものであろう。
ソロモン王は、富の食物連鎖の頂点に立ったが、空しさを得て後悔した。
残念ながら、富への信仰には真(まこと)の価値がなかったのである。
2022年6月12日日曜日
追憶 3534
多くの人が目指している(経済的、社会的な)成功者は、更なる成功者の金儲(かねもう)けの道具に過ぎない。
それは、食物連鎖の経済版である。
小さな者は、大きな者の餌食(えじき)となる。
それが金を信仰(しんこう)する者達の生きる世界である。
2022年6月11日土曜日
追憶 3533
メディアが信仰(しんこう)するのは金である。
メディアは、金のためにしか動かない。
思いやりで動くことなど有り得ない。
そのようなことをしても金儲(かねもう)けにはならないからである。
出資者がいる以上、金儲けからは逃れられない。
メディアは、出資者の気に入るようにしか仕事が出来ないのである。
2022年6月10日金曜日
追憶 3532
有名になり、地位や名声を手にするのは、メディアの力である。
メディアに後押しされなければ必要以上に有名になることはない。
メディアの後押しによって、必要以上の地位や名声を手にするのである。
メディアは、その人の実際の実力を重視しない。
メディアは、絵面(えずら)や注目度を重視する。
なぜなら、宣伝費をもらっているからである。
2022年6月9日木曜日
追憶 3531
メディアに出られるのは、それを提供している出資者に有利に働くからである。
出資者が、金儲けに不利に働く者を使い続けることなど有り得ない。
出資者のために働く者でなければ、出資しないのである。
メディアの力で有名になり、地位を確立したからといって、その人が立派であるとは限らない。
2022年6月8日水曜日
追憶 3530
“神”を信仰(しんこう)する程に、金儲(かねもう)けからは遠ざかってしまう。
“神”や思いやりに根差している人には、金儲けなど詰(つ)まらないことに思えるのである。
著名(ちょめい)な宗教家や霊能者や経営者であったとしても、その地位や名声を理由として安易(あんい)に信用してはならないだろう。
なぜなら、あなたは直接彼等を知らないからである。
著作物(ちょさくぶつ)や他者からの評価や噂(うわさ)は、残念ながら何の当てにもならない。
そのようなものは、その人の本質を現してはいない。
なぜなら、そこには必ず忖度(そんたく)があり、賛否があるからだ。
2022年6月7日火曜日
追憶 3529
金持ち程人格者であるというのは、金持ちが自己を正当化するために言っていることである。
なぜなら、金を得るためには、“神”を捨てなければならないからだ。
“神”とは、思いやりのことである。
思いやりに従(したが)う者が金儲(かねもう)けなど出来るはずがない。
なぜなら、思いやりがあれば与えてしまうし、値引きしてしまうからである。
2022年6月6日月曜日
追憶 3528
金の世界で、金を得るためには誰かを騙(だま)さなければならない。
誰かを騙す狡猾(こうかつ)な者程、多くの金を手に入れる。
誰かを騙すつもりのない“愚(おろ)か者”は、誰かに騙されて金を失う。
金に愛される者程、狡猾であるだろう。
狡猾でなければ、この争いに勝つことが出来ないのである。
金持ちである程に人格者であるということには無理があるだろう。
2022年6月5日日曜日
追憶 3527
“神”を信仰する頂(いただき)の環境では、助け合いが必要である。
思いやりや利他的な考えが先行しなければ、頂にはいられないのである。
頂(“神”への信仰)にいられなかった人は、麓(ふもと)に下る。
そこは、金を信仰するサバイバルな環境である。
そこでは、金を得るための騙(だま)し合いが行われている。
2022年6月4日土曜日
追憶 3526
世の中は、“神”を信仰する人と金を信仰する人とで成り立っている。
陰陽の仕組みである。
どちらが良くて、どちらが悪いということではない。
この二つの性質(信仰)が存在しなければ、世の中は成り立たない。
頂(いただき)が頂であるためには、麓(ふもと)の支えが必要である。
逆もまた然(しか)りである。
2022年6月3日金曜日
追憶 3525
金を信仰(しんこう)する人は、不自然な結末を迎える。
なぜなら、真珠を身に付けた豚は、鴨(かも)がネギを背負っているようなものだからだ。
真珠を身に付けた豚は、農夫(金を信仰し、支配する人)にとっては好都合である。
なぜなら、自分自身や人生の真(まこと)の美しさや価値を知らないからだ。
そのような人は、簡単に騙(だま)すことが出来るだろう。
2022年6月2日木曜日
追憶 3524
どのように鈍感(どんかん)な人間にも、その不自然さが気付かれる程であるだろう。
流石(さすが)に、隠し切れない程に不自然さが増している。
そのような社会が長く続くことはないだろう。
恐らくは、これから多くの人が、真珠を身に付けて念仏を聴きながら小判(こばん)を数えて喜んでいる豚の不自然さに気が付くだろう。
2022年6月1日水曜日
追憶 3523
不自然を自然だと思い込んでいる誤解が、今日(こんにち)の社会の問題を引き起こしている。
それは、今に始まったことではない。
残念ながら、昔から人間は違う形の不自然を築いてきたのである。
とは言え、今日の社会の不自然さは甚(はなは)だしいものである。
豚が真珠を身に付けているだけならまだ可愛げがあるが、それに加えて、念仏を聞きながら小判(こばん)を数えて喜んでいるような構図なのだ。
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