このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2022年2月28日月曜日

追憶 3430

富を信仰(しんこう)する意識の段階にいる人は、目に見えないものや、見栄を張れないもの、相手よりも優位に立てないものに価値を見出すことが出来ない。
彼等を満たすものは、この世の富だけなのである。
彼等に、この世の理(ことわり)を説いても意味がない。
なぜなら、彼等の価値は富にあるからである。

2022年2月27日日曜日

追憶 3429

多くの人は、意識の山を登ることを嫌う。
それは、富を手放すことを恐れているからである。
多くの人は、物質的な豊かさを手放せない。
多くの人は、地位や名声や財産を欲しているし、それを手に入れたとすれば、手放すことを恐れるのである。
多くの人は、物質的にしか価値を計ることが出来ない。
彼等にとっては、物質的な豊かさがすべてなのである。

2022年2月26日土曜日

追憶 3428

意識が成長すると、未熟な欲望を楽しめなくなる。
“神”を信仰(しんこう)する人は、富を楽しめないのである。
“神”を信仰する人は、富を喜ばないのだ。
例えば、上流の綺麗な水に住む魚は、下流の汚れた水では生きられないのである。
意識の山の高い場所にいる人は、意識の山の低い場所にいる人の楽しみや喜びは分からないのである。
老人が若人(わこうど)の楽しみを分からないのは、仕方のないことなのだ。

2022年2月25日金曜日

追憶 3427

老人には、若人(わこうど)の楽しみを喜べない。
それは、そのような欲望が枯渇(こかつ)しているからである。
肉食の獣に野菜を与えても喜ばない。
肉食の獣には、野菜に対する欲望がないのである。
同じように、草食の獣に肉を与えても喜ばないのである。
このように、欲望がなければ、刺激があっても喜びはないのだ。

2022年2月24日木曜日

追憶 3426

富を信仰(しんこう)し、そこから得られる刺激を楽しめるのは若いからである。
成熟した魂には、富によって得られる刺激を楽しむことは出来ない。
それは、老人が若人(わこうど)のように楽しめないのと同じである。
そのため、ソロモン王は空しさを得たのである。
彼は、“神”を信仰して知恵を得た。
しかしながら、途中から“神”に対する信仰を捨て、富を信仰するようになったのである。
それは、老人が若人の楽しみを追い求めているようなものである。

2022年2月23日水曜日

追憶 3425

富によって得られる刺激を楽しめるのは、肉体の欲求が盛んな若い時だけである。
肉体の欲求が衰えるのであれば、どのような刺激も空しい。
腹が減らないのに、豪華な食事を前にしても空しく、眠たくもないのに寝ようとしても辛いだけなのである。
富によって得られる刺激を楽しめるのは、霊的(意識的)に目覚める前の“若い”者だけなのである。

2022年2月22日火曜日

追憶 3424

富によって得られる楽しみには限界があるだろう。
どのような体験も刺激的で楽しいのは慣(な)れるまでのことである。
そして、どのような刺激も、それを感受する肉体や精神が衰(おとろ)えることで楽しめなくなる。
衰えた肉体や精神には、どのような刺激も空しく響くのである。

2022年2月21日月曜日

追憶 3423

世界一の金持ちと言っても過言ではないソロモン王が辿り着いたのは空しさである。
富を信仰(しんこう)しても、意識の山の頂(いただき)に辿り着くことは出来ない。
富を信仰しても、“神”という充足には辿り着けないのである。
ソロモン王よりも知恵や財産に恵まれると、満足を得られると考えるかも知れないが、残念ながら、この世界はそのようには作られていないのである。

2022年2月20日日曜日

追憶 3422

それより標高の高い場所には、人は住めないのである。
富を信仰(しんこう)することで高められる意識の段階には限界があるのだ。
それは、富を信仰する人達が考えているよりも低いものであるだろう。
富を信仰する人達は、金持ちを神のように称(たた)えて崇(あが)めるが、世界一の金持ちも、意識の山の中腹に到達するのが限界である。
もしも、金持ちが意識の山の頂(いただき)に到達することが出来るのであれば、ソロモン王は空しく生きることなどなかったのである。

2022年2月19日土曜日

追憶 3421

人は、北極でも生活することは出来るが、標高の高い場所では生活することが出来ない。
世界で最も標高の高い場所にある街は、ペルーのラ・リンコナダという標高5100mの街である。
しかしながら、世界一標高の高い山は、エベレストの8848mである。
金持ちは、富への信仰(しんこう)の最高位にいるが、それでも、それは意識の山の中腹辺りであるだろう。

2022年2月18日金曜日

追憶 3420

世の中は、少数派の金持ちと多数派のそうでない人達で組織されている。
金持ちだから偉いということではないが、富を信仰(しんこう)する意識の段階においては、金持ちの方が意識が高い場所にいるのである。
富を信仰する段階の人達は、金持ちこそが至高(しこう)だと考えるだろう。
しかしながら、それよりも上があるのだ。
例えば、金持ちがいる場所は、人間が生活することの出来る限界の標高のようなものであると考えれば良いだろう。

2022年2月17日木曜日

追憶 3419

金持ちは、社会を支える柱のようなものであるだろう。
そして、富を信仰(しんこう)する唯物論者は土台である。
そうやって、意識の山の麓(ふもと)は築かれているのだ。
組織の構成が、そのまま意識の山を現している。

2022年2月16日水曜日

追憶 3418

しかしながら、わたしは金持ちとして成功した彼等を尊敬している。
なぜなら、わたしには出来ないことが出来るからだ。
例えば、金持ちとして成功した人達は、仕事を生み出して、多くの人の生活や国を支えている。
このようなことは、金持ちでなければ出来ないことである。
わたしは金持ちではないから、彼等のような方法では、社会貢献することが出来ないのである。

2022年2月15日火曜日

追憶 3417

金持ちというのは、ただの状態に過ぎない。
金持ちに成ったからといって人生が完成するはずがないのである。
わたしは、一般的に金持ちと呼ばれる人を幾人か知っているが、ある金持ちは黒いものに巻かれてもはや姿が見えなかった。
また、別の金持ちは仕事や金は腐る程あるが、人生が空しいと相談してきた。
彼等は、多くの人が憧れる(金儲けの)成功者である。
しかしながら、わたしは彼等には憧れることが出来なかった。
わたしには、彼等が羨(うらや)ましいとは思えないのである。

2022年2月14日月曜日

追憶 3416

人生の目的は、金持ちに成ることではない。
もしも、人生の目的が金持ちに成ることであるのならば、金持ちが長生きすることはないし、全員が幸福であるはずだ。
しかしながら、金持ちに成ったからといって、すぐに人生が終わることもなければ、幸福であるとも限らない。
金持ちでも長生きする者もいれば、不幸を生きる者もいるのである。

2022年2月13日日曜日

追憶 3415

しかしながら、決まっているからといって、この世の富を追い求めることをいつまでも楽しんでいてはならないだろう。
なぜなら、楽しみを追い求めていると、いつの間にかに本来の目的を見失ってしまうからだ。
多くの人は、この世の富を追い求めるゲームに夢中になり、人生の目的を見失ってしまう。
本来ならば、この世の富を追い求めることは空しいのである。
なぜなら、それは人生の目的ではないからだ。

2022年2月12日土曜日

追憶 3414

地位や名声や財産などの富を追い求めることは悪いことではない。
それは、そのように生きなければならない人もいるからである。
多くの人は、この世の富を追い求めなければならない人生にあるのだ。
それは、そのような意識の段階にあるからである。
そのように決まっているのだ。
そのように決まっている人は、そのように生きなければならない。

2022年2月11日金曜日

追憶 3413

ゴウタマは、それが偽りであることに気が付いたのである。
彼は、偽りの幸福を追い求めたとしても、空しいだけで豊かさを得られないことに気が付いたのだ。
残念ながら、多くの人はそのことに気が付かない。
多くの人は、それが偽りの幸福であることに気が付かないどころか、死ぬまでそれを追い求めている。
下手をすれば、死んだ後も偽りの幸福である地位や名声や財産を追い求めているのである。

2022年2月10日木曜日

追憶 3412

地位や名声や財産が多い程、生老病死は恐ろしさを増すだろう。
あなたが地位や名声や財産を多く持っているなら、生はともかく、老と病と死を恐れ、それ等を苦しみと感じるだろう。
地位や名声や財産がある人程、長くその状態を保ちたいと願うのである。
なぜなら、それを幸福だと思っているからである。
地位や名声や財産を持っている人程、“普通”の幸福に執着(しゅうちゃく)するのである。

2022年2月9日水曜日

追憶 3411

ゴウタマは、生老病死という四苦を知ってしまった以上、快楽や欲望を満たすことで得られる“普通”の幸福を最高のものだとは思えなくなったのではないだろうか?
生老病死という不可避の苦しみの前では、地位や名声や財産は価値を持たない。
生老病死の前では、この世の富がもたらす幸福は空しいのである。
“普通”の幸福では、生老病死がもたらす苦しみを解決することは出来ないのである。

2022年2月8日火曜日

追憶 3410

シュッドーダナは、人間の欲する快楽や欲望を満たし続けることが出来る。
それは、“普通”の幸福や豊かさを得られるということである。
ゴウタマは、シュッドーダナの元にいれば、“普通”の幸福や豊かさを享受(きょうじゅ)することが出来る。
多くの人はそれを切望(せつぼう)するが、ゴウタマにはそれが空しい足枷(あしかせ)のように思えたのであろう。

2022年2月7日月曜日

追憶 3409

快楽や欲望を満たし続けることが、豊かな人生というものである。
多くの人にとっては、このように考えるのが“普通”であるだろう。
多くの人は、快楽や欲望を満たせることが豊かさであり、それ等を我慢しなければならないことが空しさだと考えるだろう。
ゴウタマの父親であり、釈迦族の王であるシュッドーダナは、“普通”の上位の存在である。

2022年2月6日日曜日

追憶 3408

それは彼が、人間が避けることの出来ない生老病死という四つの苦しみを知ったからであろう。
人間がどのように努めても避けることが出来ない四つの苦しみを知って、快楽を貪(むさぼ)り、欲望に溺(おぼ)れるような歪んだ生き方に空しさを感じてしまったのだろう。
多くの人は、苦しみを忘れるために快楽や欲望を満たす。
多くの人は、快楽や欲望を満たせば、苦しみが消えたり、それを忘れられると信じているのである。
それは、昔も今も変わらないことだろう。

2022年2月5日土曜日

追憶 3407

ゴウタマは、有り余る富を与えられた。
彼は、世の人の欲しがるすべてを手に入れた。
すべての肉体的な欲求は満たされていた。
妻子も得ていたし、国王の座も約束されていた。
多くの人は、ゴウタマの立場が欲しくて努力したり、争ったりしているのである。
しかしながら、ゴウタマは父親である釈迦族(シャーキャぞく)の王のシュッドーダナに対して出家を申し出た。

2022年2月4日金曜日

追憶 3406

ゴウタマは、人間の得るべき苦しみを見せられずに育てられた。
多くの人が求める快楽や満足など、欲望を満たすための理想的な生活を与えられたのである。
ゴウタマには、この世の良いものが惜(お)しげもなく与えられたのである。
しかしながら、多くの人とは違い、ゴウタマはそのようなものを喜ばなかったし、楽しまなかった。
彼は、この世の良いもの(富)に空しさを感じていたのである。

2022年2月3日木曜日

追憶 3405

ゴウタマは、金持ちの家に生まれた。
それは、金持ち(富への信仰)というものを理解するためである。
ゴウタマは、金持ちの家の子どもとして、何不自由なく暮らした。
有り余る富を与えられて、人間の得る“べき”苦しみから遠ざけられて育ったのである。

2022年2月2日水曜日

追憶 3404

しかしながら、生き方は決まっているのである。
それは、必要な経験を積み、必要な成長を実現しなければ、次の段階の学びへは進めないからである。
自分勝手に学びを進めることは出来ない。
必要な能力や装備を手に入れていない者が、山頂を目指すことは出来ないのである。
山頂を目指すのであれば、それに相応(ふさわ)しい能力や装備が必要なのである。

2022年2月1日火曜日

追憶 3403

ゴウタマは、金持ちの立場を捨てようとして捨てられた訳ではない。
捨てる必要があったから捨てられたのである。
決まっていなければ、その通りにはならないのである。
すべての人は、自分の立場や役割や生き方を自分勝手には決められないのだ。
それは、必要によって決まるのである。
富を信仰(しんこう)する傲慢(ごうまん)な人の中には、人生は自分で決めるものだと信じている人が多くいる。