光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2022年4月30日土曜日
追憶 3491
それは、不具合や故障によって経済を回すという側面もあるかも知れないが、基本的には深く掘り下げることが苦手なのであろう。
外国の自動車は、草のように早いサイクルで登録と抹消(まっしょう)が行われているのではないだろうか?
国産車は、外国の自動車に比べると寿命は長い。
それは、樹木のようにしっかりとした作りだからである。
2022年4月29日金曜日
追憶 3490
わたしは20年で3台の国産車を乗り継いだが、不具合や故障など無いに等しかった。
その中の1台は、新車で購入し、13年で13万km走行したが、不具合や故障もなく、知り合いに譲った今も元気に走っている。
それは、国産車の製造技術の高さを証明しているだろう。
残念ながら、外国の自動車では難しいことである。
2022年4月28日木曜日
追憶 3489
欲や見栄のために樹木を伐採(ばっさい)し続けると、環境には大きな悪影響があるだろう。
例えば、国産車を規制して、外国の自動車の数を増やしてみるとどうだろう?
そうすれば、車社会は混乱するに違いない。
不具合や故障の多い外国の自動車の数を増やすことは、修理や買い替えによって、経済を強制的に循環させる効果はあるかも知れないが、それ以上の社会的な問題の方が大きいだろう。
2022年4月27日水曜日
追憶 3488
草原を広げるために、樹木を伐採(ばっさい)するのは不自然なことである。
良いものがあるのに、欲や見栄のために悪いものを選ぶ必要はないのである。
草は樹木に比べて、水を蓄える力も、土砂崩れを防ぐ力も、酸素を生み出す力も、気温を下げる力も、生命を養う力も少ないだろう。
2022年4月26日火曜日
追憶 3487
広く展開することも大切だが、深く掘り下げることがなければ豊かさは得られないのである。
草木の共生が豊かさを生み出すが、草よりも樹木の担う役割が大きいだろう。
例えば、樹木がなければ、山でも平野でも貯水量は減ってしまうだろう。
それに、草原だけでは地球の酸素量も足らないのである。
2022年4月25日月曜日
追憶 3486
それは、深く掘り下げるよりも、広く展開していくようなものであろう。
縦と横である。
深く掘り下げるものは大樹となり、広く展開するものは草原となる。
外国の自動車は、先進的なアイデアや技術が満載である。
外国と一纏(ひとまと)めにすることは出来ないが、彼等は、広げる力に長けている。
役割としては、広く展開する草のようなものであろう。
2022年4月24日日曜日
追憶 3485
本質的なものは安定している。
本質的である程、しっかりしているのである。
簡単に壊れるものは、本質的ではない。
外国は、考え方や価値観が本質的なものを重視するようなものではないだろう。
どちらかと言えば、表面的な考え方や価値観を重視しているのではないだろうか?
2022年4月23日土曜日
追憶 3484
本質的な価値とは、古今和歌集に収録され、国歌である君が代の歌詞として使われた詩(うた)である“わが君は、千代に八千代にさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで”ということである。
この詩は、“あなたには、小石が大岩となり、苔生(こけむ)すまで長生きして欲しい。”という相手の幸せを願う詩である。
2022年4月22日金曜日
追憶 3483
外国の自動車を好むことと、浮気や不倫を結び付けることは難しいが、見栄を張ることや見た目を重視することには共通点があるだろう。
本質的な価値を重視する人は、見栄を張ることや見た目を重視することはない。
本質的な価値を重視する人は、見栄を張ることや見た目の好みを理由としては自動車や相手や行動を選ばないのである。
本質的な価値を重視すれば、本質的な価値も判断に織り込むのである。
2022年4月21日木曜日
追憶 3482
より本質的なものがあるなら、それを選んだ方が良い。
見栄を張ることや見た目だけで本質的な価値を手放してはならないのである。
浮気や不倫を喜ぶような人も考え方としては同じであるだろう。
残念ながら、浮気や不倫に本質的な価値はない。
浮ついた(軽薄な)気持ちや、倫理を否定(不)すると書く行為が、本質的な価値であるはずがないのである。
2022年4月20日水曜日
追憶 3481
外国の自動車が悪いということではないが、見栄を張るためだけに長く乗り続けることは難しいのである。
外国の自動車に乗っている人は、古くなって見栄を張れなくなる前に乗り換えるとか、故障して多額の修理代が必要になる前に乗り換えることが多いだろう。
それも悪くはない。
しかしながら、それでは、本質的な思いやりや哲学は育たないのである。
2022年4月19日火曜日
追憶 3480
地位や名声や財産を得るためだけに生きてはならない。
それ等は装飾(そうしょく)に過ぎないのである。
装飾をどれだけ豪華(ごうか)なものにしたとしても、その価値は一時(いっとき)のことに過ぎない。
見た目や値段は良いが、すぐに壊れてしまう外国の自動車のようなものである。
多くの人は、見栄を張って見た目や値段の良い外国の自動車に乗りたがる。
2022年4月18日月曜日
追憶 3479
人生に地位や名声や財産を築いたところで、空しさを得るのであれば大きな損害である。
地位や名声や財産を築いた老人が、晩年に後悔して空しさを得るのは良くあることであろう。
ソロモン王でさえ、空しさを得たのである。
“神”への信仰(しんこう)という思いやりや哲学などの本質(骨組み)がなければ、人生は空しいのである。
2022年4月17日日曜日
追憶 3478
立派な建物を建てたとしても、すぐに傾いたり倒壊(とうかい)するのであれば、大きな損害である。
見栄えだけが良くても仕方がないのである。
そこに価値を見出すことは出来ないだろう。
見栄えが良くて簡単に倒壊する建物よりも、見栄えが劣ったとしても、丈夫な建物の方が良いのである。
基礎や建物の価値は、丈夫で長持ちするところにあるだろう。
2022年4月16日土曜日
追憶 3477
立派な家を建てる前に、立派な基礎(きそ)を築く知識や技術を磨かなければならない。
多くの人は、見栄えの良い財産や地位や名声を求める。
それは、立派な建物である。
しかしながら、基礎である思いやりや哲学は求めない。
多くの人は、見栄えの良い建物が完成すれば良いと思っているのである。
2022年4月15日金曜日
追憶 3476
多くの人は、見た目や見栄えが良ければそれで良いと思っている。
中身や本質を重視することは少ない。
しかしながら、満足を得るためには、中身や本質を重視しなければならないのである。
立派な家を建てても、すぐに崩壊するのであれば意味がない。
すぐに崩壊するなら、その家はいっそのこと建てない方が良いのである。
2022年4月14日木曜日
追憶 3475
多くの人は、本質を気にしない。
それは、目には見えず、簡単には捕らえることが出来ないからだ。
多くの人は、自分にとって都合が良ければそれで良いのである。
口に甘ければ、腹に苦いことは気にしない。
多くの人は、上辺(うわべ)を生きているのである。
2022年4月13日水曜日
追憶 3474
多くの人は、鉄筋の抜けたコンクリートの上に人生を築く。
多くの人は、唯心論や心(思いやり)や哲学を軽んじたり、忘れている。
それは、直接的ではないからだろう。
見えないものの価値を理解しないし、出来ないのである。
多くの人にとっては、見た目が良ければそれで良いのである。
中身のことは後回しである。
2022年4月12日火曜日
追憶 3473
多くの人は、不自然を良いものだと信じている。
そして、自然を悪いものだとも信じているのである。
そのような流行や風潮に流されているのだ。
多くの人は、不自然である程に文明的だと信じているのだろう。
都会の暮らしに憧れるのは、不自然に憧れているからである。
2022年4月11日月曜日
追憶 3472
多くの人は、見た目だけの不自然なものに頼る。
唯心論や心(思いやり)や哲学を持たないから、有名人や周囲の人が良いというものを無条件に良いと信じる。
多くの人は、他人が作った流行や風潮に踊らされているのである。
しかも、それが正しいことだと信じているのである。
そのような人達は、常識が偏見(へんけん)であることを知らない。
2022年4月10日日曜日
追憶 3471
多くの人は、唯物論や金や宗教などの偏(かたよ)った思想を振りかざす。
そのため、人生や人格は育たない。
大きくしようとする程にひび割れ、崩壊するのである。
大切なのは、そこに唯心論や心(思いやり)や哲学を織り込むことである。
唯心論の含(ふく)まれない唯物論は不自然である。
心(思いやり)の含まれない金は不自然である。
哲学の含まれない宗教は不自然なのである。
2022年4月9日土曜日
追憶 3470
コンクリートは、鉄筋を入れることで強化される。
鉄筋コンクリートの基礎なら、どのような建物も支えることが出来るだろう。
唯物論や金や宗教だけでは、偏(かたよ)って薄っぺらい思想や人格や人生を築いてしまう。
残念ながら、世の中には、薄っぺらい思想を振りかざす自分勝手な人間が多い。
それは、偏っているからである。
2022年4月8日金曜日
追憶 3469
コンクリートで作った基礎(きそ)は、一見すると頑丈に見える。
しかしながら、それは見た目だけのことである。
頑丈そうに見えても、しばらくすると自然にひび割れて、やがて崩壊してしまうのである。
建物を乗せると、崩壊までの時間は早まるだろう。
それは、芯(しん)となる鉄筋が入っていないからだ。
2022年4月7日木曜日
追憶 3468
しかしながら、多くの人は、基礎(きそ)が完成する前に建物を建設する。
多くの人は、唯物論や金や宗教が、人生に平和と幸福と豊かさをもたらすと信じているのである。
しかしながら、どれだけ立派な建物を建設したとしても、基礎が完成していなければ、やがては傾いてしまうのだ。
唯物論や金や宗教などの半分の材料だけでは、コンクリートだけで基礎を作るようなものなのである。
2022年4月6日水曜日
追憶 3467
唯物論や金や宗教に対して、盲目的にのめり込んではいけない。
それでは、堅固(けんご)な基礎(きそ)は完成しないからだ。
唯物論や金や宗教を盲信(もうしん)することなく、その本質を見極め、客観的に相対(あいたい)することが出来たのであれば、基礎は完成である。
堅固な基礎が完成して初めて、建物の建設へと踏み出すことが出来るのである。
2022年4月5日火曜日
追憶 3466
建物は大切であるが、基礎(きそ)はそれ以上に大切である。
どのように立派な楼閣(ろうかく)も、砂の上に建造すれば傾いてしまう。
それでは、価値がないに等しいのである。
基礎がしっかりしていれば、建物は長くその姿を保つのである。
そこに価値が生まれる。
2022年4月4日月曜日
追憶 3465
唯物論や、金や宗教が悪い訳ではない。
それ等に対して汚れを持っていることが悪いのである。
汚れとは、理解不足である。
基礎(きそ)についての理解が不足していると、脆(もろ)い基礎を築いてしまう。
それは、余計なものが混ざっていたり、必要なものが不足していたりする。
それでは、建物を支えることが出来ないのである。
2022年4月3日日曜日
追憶 3464
基礎(きそ)がしっかりしていなければ、建物は傾いてしまう。
それでは、どのような立派な建造物も価値を失ってしまうのである。
人は、意識の山の頂(いただき)を目指して、自らを磨かなければならない。
磨くということは、汚れを落とすことである。
例えば、意識の山の麓(ふもと)である唯物論や金や宗教に対する歪んだ考え方を手放さなければならないのである。
2022年4月2日土曜日
追憶 3463
肉体と魂は、両方が大切なのである。
どちらか一方を重んじて、どちらか一方を軽んじることは良くないことだ。
矛盾しているように聞こえるかも知れないが、金も“神”も両方を大切に扱わなければならないのである。
なぜなら、麓(ふもと)がなければ頂(いただき)は存在しないからだ。
2022年4月1日金曜日
追憶 3462
命には酸素がなくてはならないし、酸素には命がなくてはならない。
どちらか一方が欠けても、世界は成り立たないのである。
唯物論だけで世界は成り立ちはしない。
唯心論だけでも世界が成り立つことはないのだ。
物質と意識の両方が存在して、世界が成り立つのである。
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